我々の菩薩は、かつては、瓦拉納西国(Bārānasī)の国師の息子であった(注5)。
国王の息子と菩薩は同じ日に生まれ、国王は皇宮で、己自身の息子と国師の息子を、一緒に育てた。
二人の子供は、共に成長し、また、タカシラ(Takashila。ガンダーラ国の町)で学問を修めた後、一緒に国に帰ってきた。
国王は、己の息子には、摂政王になる様に任命し、菩薩には、彼と同じ所に住む様にと言った。
摂政王は、彼に対して、完全に信任した。
久しからずして国王は崩御し、摂政王が、王位を継承した。
彼は無数の財産、富を擁することとなった。
菩薩は、己の友人が国王になったのを確定的に知り、己自身は、国師を任命されるだろう、という事を確信した。
しかし、彼は俗世の生活を営みたくはなかった。
故に、彼は、擁していた所の大量の財産と富を捨棄して、ヒマラヤ山林の隠士となった。
(注5)瓦拉納西:または、巴拉納西。旧訳、波拉奈。
(5-9につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>