今日は成人の日、三連休ですね(年金生活の私には、祝祭日は関係ありませんが~笑)。
私が20歳の時は、東京の通信社に勤めていまして、いまだ、己自身の立ち位置が分からず、まだまだ心の中は、不安で一杯でした。
私は、子供の時から仏教が好きで、5歳の時、
「お釈迦様」
という言葉を一言聞いただけで、【直立不動】になって、
『この人は偉い人。この人の事、勉強しなくては』
『お人形で遊んでいる場合じゃないゾ』と、
初発心した程の <生まれつきの仏教徒>(笑) なのですが、仏教が、本当に信じるに値する教えなのか、20歳の時は、まだ確信が持てず、心は、ぐらぐらしていました。
日本で、幾つかのお寺を尋ねても、尊敬できる僧侶に出会う事が出来なかったこともあり(山田無文師が好きでしたが、どうやったらお会いできるか分かりませんでした)、貧しい人や困っている人々を救うには、マルクス主義の方がいいかも知れない、などと思っていたものです・・・
その頃の中国は、現在の様な覇権主義大国ではなく、毛沢東の鶴の一声、都市部では、早くも、男女平等・同一賃金などが実施されていて、私にはなじみやすかったです。
その内、私の周りの、左派、左翼と呼ばれている人々の内、一部分、瞋恚の心が強い事に気が付いて(優しい心の人もいましたが)、誰かが誰かを打倒しても、怨恨が残り、社会的な悲劇はなお連鎖するのではないか、と思い至りました。
25歳の時、富永仲基の『出定後語』を読んで、大乗仏教が成立する前の、原始仏教というものを勉強すれば、葬式仏教ではない、ゴータマ仏陀の本懐が分かるかもしれない、と一筋の希望を見つけました。
その後、子育てと中国語通訳の仕事を両立させながら、
タイ、緬甸(ミャンマー)の森林僧院に出かけて教えを乞い、現在は、パオ・メソッドに全幅の信頼を寄せて、修行もし、仏教書の翻訳は、私のライフワークとなりました。
パオ・メソッドに出会ったのは、50歳の時でした。
50歳が、私の本当の、成人式だったかも知れません。
人生は長い様で、短く、短い様で、長い。
仏教でなくともよいのですが、
若い方々には、ぜひとも、
『これさえあれば私は生きていける』という様な、
心の支え、心に何か、芯になるものを、見つけて頂きたいと思います。
追伸:
棘で一杯の、生きにくい娑婆世界。その表面を、全部、皮革で覆うのではなく、自分が革の靴を履けばよい。
業(心の癖、因果応報)を認め、無常・無我(名色の刹那生・滅)を体感する事を通して、己自身の心を浄化して生きるのが、結局は、楽・自由への一番の近道、と老サヤレーは、思うのです。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>