翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(3-148)(私家版)
これこそが、果心の作用である。
例えば、ある人が、体に火が着いたとして、熱くてたまらない。この時、清涼な水をバケツ一杯、彼に向けて浴びせたならば、彼は、炎の中から解脱する事ができた、と思い、非常な清涼を感じるであろう。
火とは、煩悩であり、清涼な水は、道心であり、解脱して清涼を味わう感受が、果心である。
ソータパナ道心は、長い輪廻の内、唯一、一回のみ生起する事ができる。というのも、煩悩が断じ除かれた後、再び断じる必要がないが故に、ソータパナ道心を、再度生起せしめる必要がないのである。
しかし、果心は、何度も生起する。
例えば、ソータパナ聖者が、涅槃の寂静を享受したい時、ソータパナ果定に入る必要がある。
この時(ソータパナ聖者には)、非常に多くの果定が生起して、涅槃の寂静を体験するのである。
(3-149につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>