先日所用で、近所の喫茶店でお茶していましたら、偶然、顔見知りの女性と会いました。
彼女曰く
「般若心経(注1)というお経、持っているだけで幸せになりますか?」
私
「いやいやいや。それは無理でしょ。
少なくとも、書かれてある内容を理解して、毎日少しでも座禅・瞑想(安般念)をすれば、心は穏やかになると思います。
座禅・瞑想がお嫌なら、意味を理解した上で、朝夕読むのは、読まないよりは、いいと思いますが。」
「般若心経、『色即是空・空即是色』がキモですね。
<色>は、インドの言葉では、ルーパカラーパ(色聚)またはルーパダンマ(色法)の事で、現代用語では、素粒子またはクォークの事です。
素粒子は、電気の集まりで、実体はない事は、素粒子物理学の発展によって、すでに分かっています。
(大乗仏教で盛んに使われている <空>は、
からっぽ = 実体がないこと、を意味しますが、原始仏教で言う <無我> と、ほぼ同義です。)
2600年前、ゴータマ仏陀は、菩提樹の木の下で瞑想して、素粒子の空性、無我性を、見つけた、という訳です」
どうして、般若心経は、経本を持っているだけで、幸せになれる、という説が流行したのでしょうか?
古代インドに、紙に印刷された経本を、持つのが困難な時代があって、それが手に入っただけでも嬉しくて嬉しくて・・・という層が、一定以上、存在したのかもしれません。
行深 / 般若 / 波蜜多時
=般若の智慧の基礎となる、
サマタ・vipassanā を、
深く(禅定に入り)修行して、
その(修行の)効果・功徳を蓄積していると、
いずれ、色聚(or 色法)と心法が、
心眼、慧眼によって、観えてきますので・・・
そして、
<身体と心は私ではない>
<身体と心は、私のものではない>
というゴータマ仏陀の、無我の教えを重ねると…。
己の 《顛倒夢想》 に気が付けば、人生は相当の程度、楽になる、と思います。
(注1)般若心経のパーリ語版というのはありません。
サンスクリット版とそれを基に、漢文に翻訳した中国語版があります。原始仏教から、大乗仏教へと、分派していく時の、大乗黎明期に成立したお経だと言われています(お経の登場人物(主役)が、仏陀の首席弟子のシャーリプトラではなく、菩薩である事に注目)。。
<緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>