正定、正念及び智慧の訓練を受けた事のない心は、通常、六塵である所の、
「色、音(声)、香、味、触、法」が、
六根である所の、
「眼、耳、鼻、舌、身と意」
に衝撃して、生じる所の、一切の感受をば、常、楽、我、浄として、標してしまう。
すなわち、それらを、永恒であり、楽しいものであり、一個の、確固とした我が存在し、また、それらが、清浄であると、標記してしまうのである。
これらの事柄は、「あなた、私、彼・彼女」が、標記を行っているのではなく、想心所が、行っているのである。
(4-17につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>