思は、(人々が)業を造(ナ・・・以下同様)す際の、最も主要な要素である。
というのも、実践(された行動)が、善であるか、悪であるかは、思によって、決定されるが故に。
故に、仏陀は言う:
「比丘たちよ。
私は、思は業である、と言う。
その意欲によって、人々は、身・口・意を通して、業を造す。」
欲界においては、思が、最も顕著である;
出世間においては、慧が、最も顕著である;
それは心所であり、心ではない。
すなわち、道心の中において、一個の、智慧という心所があり、四聖諦を徹底的に、知る事ができるのである。
欲界心の中において、思は、業を累積する。
というのも、願望があるが故に、(人々は)業を造すからである。
願望がない時、業を造すことは、ない。
(4-24につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>