多くの人々は、パーリ語で省察・思考する。
パーリ語を掌握しており、また、熟練している人が、それを誦じる時、もし、己自身の母語を使用するのと同じくらい、徹底的にパーリ語の意味を理解する事ができるのであるならば、この人は、パーリ語で省察・思考する事は可能である;
パーリ語に熟練しない人、また、それを誦する時、そのパーリ語の意味を理解できない人には、良好な省察・思考の効果を得る事はできない。
この様な人は、自身の母語で、省察・思考するべきである;
パーリ語の能力に欠けている者は、母語で省察・思考するのが良い。
(16-5につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>