Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

般若の独り言~戦争のトラウマ

ロシアが、ウクライナに侵攻して、その大義のなさ、その残虐さに、世界中が、悲しみ、怒っています。

大昔、中国に魏や梁の国があった時代、インドの小国の王子であった、達磨大師という僧侶が、広州から中国に入り、魏や梁に滞在した後、嵩山少林寺に行き、そこで座禅・瞑想を教えました(注1)。

これが中国の禅宗の始まり、と言われています。

この時、達磨大師の弟子になり、後に、中国禅宗の開祖となったのが、慧可でした(一番有名なのは、南禅の六祖慧能ですが)。

慧可は、俗説では、弟子入りを拒否する達磨大師に対して、片腕を切って、その決意を見せ、弟子入りを迫ったと言います。

しかし、私が台湾で見た【達磨大師伝】の映画では、慧可は、戦場で多くの敵を殺した結果、それがトラウマになって、非常に苦しんでいて(不眠、脅迫性神経症等)、各地の僧侶に教えを乞うたけれど、一向に解決しない。

ある時、師事していた和尚に教えられて、嵩山少林寺にいた達磨大師に、会いに行きます。

そして、達磨大師に弟子入りしたのですが、その時、すでに片腕はなかった、とされています・・・映画では、戦争の怪我が原因で、達磨大師に出会った時は、すでに、片腕はなかった、という設定でした。

戦争のトラウマで苦しむ彼を、達磨大師の所まで、励まし励まし、随行して行ったのは、彼の恋人の女性で、この方も、慧可と同じ修行をして、後に悟りを開いたと、映画では、その様に、描かれていました。

戦争でもたらされるものは、恐怖と混乱、悲しみと廃墟、その他には、何もない。

ウクライナに一日も早い平和が訪れます様に。

(注1)私が見た映画では、達磨大師は、

「本日、ゴータマ仏陀の教えの真髄を講義するので、全員、中庭に集まる様に」

といいながら、中庭に集まった生徒たちの前に座ったまま、一言も発せず・・・

一時間ほどすると、彼は、無言のまま、経典を抱えて、自室に戻っていきます。

仏教とは、空とは何であるか、解脱とは何であるか、を議論し合い、その議論を楽しむだけのもの、に堕落していた中国の仏教徒(僧侶たち)に、達磨大師は、

〈ゴータマ仏陀の教えは、修行し、実践しなければ、何の意味もない〉

を教えた、中国禅宗の最初の教師となりました。

ちなみに、タイのアチャン・チャー(遷化)は、

「タイでは農閑期に、トラックに乗って、あちこちのお寺に出向いて布施をする人々がいるが、大事なのは修行であって、布施ではない」と言っています。

布施はまだ、心を清らかにする方便としては、それほど悪くはないでしょうが、議論の為の議論は、百害あって一利なし。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/

Paññādhika Sayalay 般若精舎>