Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

マハーカルナー禅師の矛盾-2

最近、携帯電話の画面で表示される所の、私のブログの最下部に表示される【注目記事】という項目に、2018年1月10日にUPしました

【マハーカルナー禅師の矛盾】

という文章が常に、一項目目、すなわち、注目のトップに来ている事に、気が付きました。

聞く所によりますと、マハーカルナー禅師(以下、MK禅師、または禅師)は、以前、掲載しておりました、ご自分のHPを、削除(閉鎖)してしまった様ですので(伝聞です)、今の時点での、私の禅師に関する見解を、ここにUPする事にします。

禅師は、長期滞在した海外より、日本に帰国の直後

2016年 2015頃?--推定含む)、

「私は、ミャンマーのパオ森林僧院の住職、パオ・セヤドーに依頼されて、パオ日本道場を設立する為に帰国した」

と宣言されました。

ただ、私はそれより以前に、台湾台中の山中にある、パオ森林僧院台湾支部(静楽禅林)に、何度か掛単(宿泊)した事があり、そこで聞いた話から、台湾支部を設立する時、パオ・セヤドーから、大変に手厚い支持と援助(金銭含む)があった、という事を知っていました(台湾支部の住職は、パオ・マンダレー支部僧院より派遣された、ミャンマー人比丘大長老。副住職は、パオで修行した台湾人比丘尊者・・・私の掛単当時。)。

その為、日本道場の設立は、パオ・セヤドーによる、MK禅師への、言葉上の依頼だけで、具体的支援が全くない事を知って、私は、

「パオ・セヤドーは本当に、日本道場の設立を希望したのか?」

と、大いに疑問に思いました。(また、テーラワーダ系の僧院は、首尾よく設立することが出来たとしても、金銭所持禁止、買い物禁止、自炊禁止・・・100%!托鉢・布施依存の比丘方の、毎日の生活を、戒律違反なく、清浄に維持をするのがどれほど大変な事かは、テーラワーダで出家した人間なら、明白に分かる事です。)

禅師は、2017年の、ご自身のパーラジーカ(非常に重い戒律違反。保留無しの即時サンガ追放)発覚が原因で、MK法友会解散、という憂き目に遭うと、

「私はもともと、テーラーワーダで出家したのではなくて、もっと古い原始仏教根本仏教)を奉じるサンガで出家したのだ。故に、テーラワーダのパーラジーカを私に当てはめる事はできない」という詭弁を弄しました・・・

ただ、(私の)原始仏教を奉じるサンガが、現存するのか?

現存するのならば、それは何処の国の僧院か?

という(WEB上の)問いに慌てたのか、

「私は、先にテーラーワーダの僧院で出家して、内々に、原始仏教を奉ずる様、切り替えたのだ。」と、前言を翻している(前言が嘘であるか、後の説明が嘘か、両方とも嘘か、どちらにせよ禅師は、離虚妄語戒を犯した事になります)。

なるほど、現有のテーラワーダ系の僧院は、ゴータマ仏陀ご存命の当時のサンガの、そのままの姿ではありません。たとえば、タイとミャンマーでは、戒律の解釈が異なって、午後、タイではチーズとブラックチョコレートを(おやつの一種として)食しますが、ミャンマーでは認められていません(タイの方が戒律が緩い事になりますー注1)。

そこを突いて、禅師が

「私は、実は、現有のテーラワーダの僧院ではなく、更に遡った、最も古層の、ゴータマ仏陀制定のサンガの形態をそのまま保持している寺院で出家した(または「テーラワーダの僧院で出家したが、内々に、原始仏教に宗旨替えした」)」

と主張するのであるならば、禅師は、

1)その僧院の所在国名、2)市町村名、3)僧院名、

4)禅師が出家した僧院の当時の住職名、

5)戒律を授けてもらった時の戒師、

6)依止した所の依止師のお名前(私の知る限り、出家者は、依止師に六年間、つき従って、戒律と行儀を学ばなければならない、と理解しています)

7)その僧院において、順守するべきと決定した、戒律の条項・内容(227条より少ない?)

8)禅師が当該の僧院で(初)出家した年月日

9)一時出家制度を利用して、出家と還俗を繰り返したなら、その回数と、それぞれの年月日

10)最初の出家の時に拝命した法名(戒名)と、

<9>によって生じた、法名の変遷の一覧

等、すべて明確に、公開する義務があると考えます(僧侶、特に具足戒比丘は、ゴータマ仏陀の威光の下、社会的に尊敬を集める準公人であり、故に、出家した後の軌跡は、要望に従い、開示されなければならない、と私は考えます。

出来うれば、禅師は、ブラジルで、どの僧院にて、何の肩書で、何の修行をされたのか、をも開示していたければ幸いです)。

確かに、ゴータマ仏陀が最初にサンガを設立した当初、戒律の条項は非常に少なく(初期の出家者が皆優秀で、戒律条項が少なくても、トラブルがなかった為ー注2)、後に、問題行動を起こす弟子が多く出て、戒律がどんどん増えていった、という史実はあります。

最初期のサンガにおいては、戒律はそれほど多くはなかった、ということを根拠に、禅師が、

「皆が指弾する所の私の行動は、パーラジーカに相当しない」

と主張するのであれば、私は経典に載っている所の、以下の物語で反論したいと思います。

ある時、在家の信者がゴータマ仏陀の所にやって来てぼやきます

「ゴータマ仏陀よ。あなたはあれをやるな、これをやるなと、大いに戒律(227条)を増やしたが、私は、そんなに沢山は、覚えられないし、理解もできない。

私は、何をどうしたらいいのか、分からないので、教えて欲しい。」

仏陀

「沢山の戒律を、覚えられないというのならば、ただ一つだけ、覚えて下さい。

それは『諸悪莫作』です。」

信者

「『諸悪莫作』と、一言で言われても、何をどうしたらいいのか、いやはや、更に、分からなくなりました。」

仏陀

「『諸悪莫作』で分からないならば、227条の戒律を学び、理解して、(在家なりに必要事項を)守りなさい。」

すなわち、

227条戒律を凝縮したものが、諸悪莫作で、

諸悪莫作を展開すれば、227条の戒律になります・・・

故に、サンガ成立最初期の非常に少ない戒律

=諸悪莫作=227条戒律

の等式が成り立ちます。

戒律の本質は、それが何条あるかという、条項の寡多に関係なく、《諸悪莫作》一択であり、真の仏教徒なら、自身の悪行、自身の良心から、逃れられる場所は、どこにも、ない事を、禅師は知るべきです。

追記:世の中に、テーラワーダより更に古層のサンガの形態を保持する僧院が現存するなど、寡聞にして、聞いた事がありませんが、もし現存するならば、禅師は、ご自分のHPを削除(閉鎖)するのではなくて、ぜひとも、HP上にて、その僧院の全体像を積極的に紹介し、我々に知らしめて頂きたいものです。

注1=上記は、アチャン・チャー系の僧院での午後の飲食(おやつ)の様子です。アチャン・チャーの僧院は、タイでの、戒律厳守の最左翼。パオ森林僧院はチーズもチョコレートも不可。パオ僧院は、ミャンマーでの、戒律厳守の最左翼。

注2=最初期の出家者(弟子)は、もともと仏陀成道前、仏陀がシッダッタ太子であった時に、修行を共にしていた、5人の比丘。

ゴータマ仏陀はこの5人に、鹿野苑にて「初転法輪」と「無我相経」を教え、5人はそれぞれの力量に合わせて、短期間の内に、順次、阿羅漢を証しました。

まさか阿羅漢が、レイプや虚言、殺人等を行うなどとは、誰も考えつきませんので、サンガ成立の最初期は、不邪淫、離虚妄語や不殺生の戒律が、明示されていなかった可能性はあります。

だからと言って、現代の、南伝仏教下における出家比丘が

「私は、サンガ成立の、その最初期の出家者と同等であると自認・標榜しているが故に、私がレイプ、虚言や殺人をしても、仏陀在世中期、後期になって制定された所の、227条の戒律に縛られる事はなく、私の行為が、パーラジーカに問われることはない」

等の言い逃れは不可能である事は、火を見るより明らか・・・、

仏陀の戒律は、一義的に、どこまで行っても《諸悪莫作》一択に収斂されて、他に抜け道はないのですから。

(パーラジーカ者は、保留なしの、即刻サンガ追放です。2022年4月現在、今なお、比丘相を現わす禅師は、仏法の規定では、賊住者となります)

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/

Paññādhika Sayalay 般若精舎>