”私は、受用した食物に対して、以下の様に、如理に、省察と思考をする。
食物は、遊びの為ではなく、驕慢になる為ではなく、装飾の為ではなく、荘厳の為ではなく、ただ、この身体が住立して存続できる様に、障害のない様に、梵行を行う助けとなる様に(受用するのである)。
この様にして、私は古い(過去の)受を解消し、新しい受が生じない様にする。
私は生命を維持するに当たって、過失なく、かつ、安住する(事を目指す)ものである。”
(17-4につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>
”私は、受用した食物に対して、以下の様に、如理に、省察と思考をする。
食物は、遊びの為ではなく、驕慢になる為ではなく、装飾の為ではなく、荘厳の為ではなく、ただ、この身体が住立して存続できる様に、障害のない様に、梵行を行う助けとなる様に(受用するのである)。
この様にして、私は古い(過去の)受を解消し、新しい受が生じない様にする。
私は生命を維持するに当たって、過失なく、かつ、安住する(事を目指す)ものである。”
(17-4につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>