私が現在、身の回りにある物品に関して、大いに断捨離をしていることは、前に書きました。
捨てるべきものは捨てて、人に差し上げることの出来る物は、差し上げて・・・ここにきて、だいぶ整理がついて来ました。
今は、残っている大量の布地(息子や孫に、何か作ってあげようと思って買い置きしていたものや、私が出家する時に法衣を仕立てようとして買っておいた茶色系の、反物の布地など)は、裂き織用の横糸にする為に、1cm幅に裂いています。
いやはや、毎日、セッセと布地を裂いている訳ですが・・・時々、
<この反物の布地を全部裂いてしまうなんて、もったいないなぁ>
<後々、あれがあれば、カーテンにできたのにとか、後悔しないかなぁ>
などと思いながら、布地を裂いています。
これ、未練、心、いまだ練れず(笑)。
禅宗のお話の中で、小僧さんが町にお使いに行って、文房具店で、よくよく吟味して、和尚さんが喜びそうな便箋を買って、お寺に戻ったけれど、和尚さんは「これはだめだ。今すぐ行って取り替えて来い」と言います。
小僧さんは、夕暮れの山道を、再度、町に向かいながら、帰り道の心細さを想像して、もう走りに走って、お店につくと、そこら辺にあった便箋をひっつかんで、お寺に戻りました。
和尚さんは、その便箋を見て
「よいのが買えた」
と褒めたそうです。
この布地は将来使えるかもしれないと思って、ふと仕事の手が止まる。便箋を吟味して買って帰れば、和尚さんに褒められる。
余計な心の働き、未練でありますね。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>