西洋のことわざに
<地獄への道は、善意で舗装されている>
というのがあるそうです。
以下、私の反省。
私は最近鋭意、精舎の整理整頓、断捨離をしていて、その一環として、古布を1cm幅のリボン状に裂いて、裂き織のマットを作っていることは、何度かお話したと思います。
5、6枚作り貯めた時点で、先日、温泉施設でよく会う知人に、一枚差し上げました。
彼女は在の人で、私が農家から直接お米を買う時など、よく協力してくださるので、感謝の気持ちを込めて、良品を一枚・・・
しかしながら、私は
『このマットは二日もあれば、織り上がる事。
それは、最近の卓上機織り機が、非常に使いやすい様に、進化しているから。
縦糸は人から貰ったもの。
横糸は、精舎にある古布を裂いたもの。
材料費0円です。安心して貰って下さい。』
と、くどくどと説明してしまいました。
彼女は一言
「ああ、眠たいなぁ(今日はまだお昼寝していなかったわ)」。
そうなんですね。人に物をプレゼントする時、たとえ善意からでも、ダラダラ説明してはいけませんね。
地獄への道は善意で舗装されている・・・私の善意が彼女に不快感を呼び起こした様です。
もう一つ、これはキリスト教で言われている格言・・・
【右手でやる事を左手に知らせてはならない】
よい事をする時はさりげなく・・・それは、キリスト教でも、仏教でも、同じですね。
反省しきり。
追記:
<地獄への道は・・・>には、もっと深い意味があるかと思います(例えば、聖職者の善意は、実は悪意から出ている場合もある、とか)。
私は、西洋文化に疎いので、本文の意味合い、浅い意味に使わせてもらいました。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>