三、離非梵行学処(abrahmacariyā veramanī)
離非梵行学処とは、以下の事を言う:
僧人は(在家者にとっては、正常な行為である所の)性行為を戒除(戒にもとづいてそれを避ける)しなければならない。
淫を行う時の動きとは、己自身の生殖器を相手方の陰道、肛門と口という三つの道に入れる事を言う。たとえ、ゴマ粒ほどしか到達していなくても、破戒は成立する。
淫を行う時の動きと、確実に進入したかどうかは、二つの大きな要素となる。
もし、相手が強迫的に無理やり進入して来て、自分は受け入れがたく(=納得できず)、気持ちが同調しない時、不犯となる。
もし、その様な気持ちがあり、黙認したならば、犯となる。
淫を行うのを模倣するだけなら不犯であるが、しかし、サーマネラはこの事(行淫の模倣)によって罰を受ける。(注4)
注4=英訳では、”The precept is not broken by abnormal sex”となっているが、これは誤訳の可能性がある。シンハラ語の ”ayathā”は、パーリ語では ”ayathā” と対応する。
この単語の意味は:間違った、真実でない、すなわち、模倣、想像、仮にその様に振る舞う、である。
(19-21につづく)
<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>