40年も前の事ですが、南アジアから、日本の大学に留学してきて、そのまま日本に住み着いて、仏教(テ―ラワ―ダ)の伝道を始めた僧侶がいます。 彼は〘仏教は科学である〙といい、それを聞いた私は、大変に嬉しかったものです。 といいますのも、私は子供の時から仏教が好きなのですが、もし仏教が迷信なら、学ぶ価値も、実践する価値もないからです。 そして、一時期、この僧侶の説を取り、〘仏教は科学だ〙と思って、無邪気に喜んでいた私ではありますが、やがて、瞑想が出来る様になると、 〘いやいや、仏教は科学的であろうと努力してはいるものの、決して科学ではない〙 と思う様になりました。 仏陀は〘信仰するな〙と言いますから、仏教の教理に対しては、理知的、実証的態度が要請されますが、しかし、深い瞑想体験は、他者とは共有する事ができません。瞑想体験は、どこまで行っても、第三者の、冷徹な目で検証出来ないのです…… 勿論、自分が選んだ、尊敬できる僧侶、先達に自分の瞑想体験を報告して、さらなる進歩の為の指導を、受ける事はできますが、指導者と弟子との間のやり取りに、恣意的な部分がある事は、否めません。目下の仏教は、科学でありたいと願いつつも、尚、宗教の域を出られないでいます。 いつか、精密機械が発達して、修行者の、深い瞑想体験を数値化したり、映像化したりできる様になればよいな、と思っています。サヤレ―。iPhone入力。