無痴はまた慧根または智慧と言う。 この智慧と言うものは、いくつかの、異なるレベルのものがある。 例えば、因果応報を信じる智慧; 経典を、理解する智慧; 善悪を分別する智慧; 無常、苦、無我を徹底的に知る智慧; 四聖諦を徹底的に知る智慧。 一切の有為法は、みな、生滅しているものである。 我々の五蘊もまた生滅して無常である。我々がそのことを知らないでいるのは、無明が、究極の真実の法の本質……即ち、五蘊の生滅の本質を覆い隠しているからである。 (このことから)無明が生起するとき、智慧は生起出来なくなる事(が分かる)。 無明が取り払われ、智慧が顕現した後であれば、五蘊の生滅の法ーー無常、苦、無我を、徹底的に知る事ができる。 光明が生起するとき、暗黒は消失する。 文責:Pannyaーadhika Sayalay(緬甸パオ森林僧院ヤンゴン分院所属/般若精舎)