子供の時からの疑問に、 <なぜ(悟りを得た)僧侶は、山奥に引っ込んで、花鳥風月を友に暮らすのか?> と言うものがあります。。。 最近少し分かる様になりました。。。 仏教で出家して修行して、多少とも心得を得た僧侶は、その(悟りの深い浅いの)程度の差はあっても、ゴータマ仏陀の教えた世界の実相、即ち………… 【無常、苦、無我】 が分かってきます。 刹那に生滅する己の心と心所と、物質の基本単位である素粒子の刹那生滅に気が付いてしまえば、この世に求めるモノは、ほぼ何もなくなります。。。 かと言って、世人にこの世は〈無常、苦、無我ですよ〉と説いて回っても、ほとんどの人は、聞く耳を持たない………… 特に、折角生まれてくることの出来たこの人生を、多いに存分に楽しみたいと思う面々には 〘人生は苦=人生は砂上の楼閣の様なもので、強いて求めるものは何もない〙 いう教えは、嫌いみたいです……笑。 私も、弟子を取りませんし、後何年かの後に来るであろう死の時まで、自分のできる範囲で修行精進に励み、花鳥風月を友に生きるのがベターかも知れない、と思っています。 追記:ゴータマ仏陀も、最初は説法するのを躊躇しました。当時は、<素粒子>と言う言葉もありませんでしたし、ご自分の悟りの内容を、世俗の人々にどれ位分かって貰えるか、確信が持てなかったのだと思います。
Pannyaーadhika Sayalay