南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

怒りの腑分け

明石市の泉市長が、議員さんに暴言を吐いたという事で批判され、来春で政界を引退することを決めたそうです。。。         彼は、以前にも同じ様な過ちを犯して、失職した事があり(その時は職員に暴言を吐いた?)、それ以降は、アンガーマネジメントの本を読んで、学んではいたそうです。。。                                                    私は以前、このブログに             【<怒りをなくそう>という啓発本は敢えて読まない】                という趣旨の文章を載せましたが、それは【<良き人は怒ってはならない>という啓発的なアドバイスは、偽善者を増やすだけで、根本的な解決にはならない】         と直感的に思っていたからです。。。         人は、生きている限り、必ず怒ります。。    怒りは、己を守るための本能に近い感情ではないかと思います(怒りは、脊髄反射的ですよね)。。。                 ただ、怒りの対象になつた被害者側には、逆に、安全に生存したい、心地良く生きたいという、また別の本能があるが故に、余りに露骨に怒りを表す人は、家庭的にも、社会的にも、敬遠され、また孤立してしまいます。。。                                 己の心に湧き上がる怒りに対応するには、自分には怒りの感情が有ることを認めた上で、                        (1)己の心の内で上手く処理するもの、(2)社会的に昇華させるもの………など、      冷静に腑分けすることができれば良いかと思います。。。                 ゴータマ仏陀の教えた安般念(息を観察する瞑想)は、最終的には、この世の実相である所の、五蘊と物質の無常・無我を悟る為のものではありますが、【怒りの腑分けに援用出来る智慧】を育てる事もできます。。。                                            安般念の成果が実感できる様になるまでは、それなりの時間がかかりますが、一たび、息を観察する力が、怒りの腑分けの智慧へと繋がっていけば、怒りへの心的負担は、徐々に、楽に、自由になって行きます。                    ローマは一日にしてならず……少し時間は掛かりますが、怒りを<腑分け>出来る人間になるべく、あなたも頑張ってみませんか?   Pannya−adhika Sayalay