私が二十歳を過ぎた頃でしょうか、日本と中国の国交が回復したのは。。 神戸の中華学校に通って北京語を学んだ私は、社会主義の中国とはどんな所か、一度みてみたいと思い、フリーの通訳になりました。。。
コンベンションセンターなどで行われる国際会議の通訳に呼ばれるのは年に一度か二度で、後は友好訪中団の通訳兼添乗や、技術交流の通訳などをやりました。。。 その中で、雲南省に行く仕事は特にワクワクしました……少数民族に会うのが好きでしたから(実現しませんでしたが、大学では文化人類学を学びたかったものです)。 写真のテーブルセンター(35cm×35cm)は、今となっては何族のものかわかりませんが(モン族か、アカ族か?)、40年程前に、雲南省石林で購入したものです。非常に細かいクロスステッチで埋め尽くされています。。。 同じデザインでも、黒い布に刺繍したものは値段が高く、理由を聞くと、「黒い布に刺繍するのは、天気の良い日だけ。電気がない夜は、見えにくいのでできない。だから高くなる」とのことでした。。。 夜はロウソクかランプの下で、仕事をしたのでしようか? 右端の破れた所を、赤いチロリアンテープで補強してありますが、このテープは、チベット族のもので、ラサで購入したものです。。。 次回は、ラオスの絣織りのスカート、タイ語でロンジー、ミャンマー語で、シンと呼ばれているものを紹介します。。。 追加:今は政情不安で、外国人はラサに入れません。大昔、通訳添乗でラサに行けて、ラッキーでした。ラサは雪山に囲まれて空気が澄んていて、まさに【神々の舞う庭】でした。