2600年前、ゴータマ仏陀生存の時、仏陀がお話された法(仏教的観点からの真理)は、仏陀涅槃の後、少しづつ変質して行きます。。。 特にシルクロードを経て、中国へ向かった仏教(北伝仏教)は、大乗仏教として、、 【遠い未来に仏陀になるための訓練・波羅蜜を積む方法】 としての意味合いが強調されて、 『無常無我を観じて悟りを得よ』 という仏陀の教えの声は、どんどん小さく、無視される様になって行きました。 私は、若い頃から仏典を読んでいましたが、日本で手に入る大乗仏教系の本は、どこを読んでも【刹那生滅・無常無我】が出てきません。。。。 仏陀は「無常を観ないで100日(年?)生きるより、一日無常を観て死ぬ方が良い」 と言っているにもかかわらず…………………… そんな状況に危機感を募らせて、私はタイや緬甸(ミャンマー)に原始仏教(上座部仏教)を学びに行った訳ですが、特に、パオ・セヤドー(モーラミャイン・パオ森林僧院住職)のアビダンマには、心を鷲掴みにされる程の衝撃を受けました。 パオ・メソッドで、サマタ/ビパッサナvipassana を修行すれば、色(物質)と心の刹那生滅・無常無我を観察することが出来る……… 仏教というのは、神仏を信仰する事ではなく、無常無我を己の心眼で観察して、得心する事だと知った時は、長年の迷いが解けて、心底、嬉しかったものです。