禅定の光を、一人の、あなたが敬愛する所の、あなたと同じ性別の、生きた人物に向けて光り照らし、その後に、下記の如くに、彼(彼女。以下同様。)に向けて慈愛を散布する:Aya@sappuriso avero hotu, abyãpajjho hotu, anãgho hitu, sukhã attãna@ pariharatu.ーー……………………………………………………………………… “(一)この善き人に仇敵のなき様に願う。………… (二)彼(彼女)に内心の痛苦がない様にと願う。………………………………………………………………(三)彼に身体上の痛苦がない様にと願う。………… (四)彼が愉快に、己自身を大切に、己自身を尊重する様にと願う。“ ……………………………… この四種の方式で以て、慈愛を三、四回散布した後、その中の、己が一番好きな方式を選ぶ。例えば、あなたの一番好きな方式が:“かれに心内の痛苦がない様にと願う。“ であるならば、禅定の光があなたの敬愛する人を照らしている内に、あなたは、この方法で以て、きっちりと、彼に慈愛を散布する。心の中において、“この善き人に、心内の痛苦がない様にと願う、彼に心内の痛苦がない様にと願う。“と黙念する。彼に心内の痛苦がない様、顔に微笑を伴っている所のイメージを取り、かつ、あなたがこのイメージに極めて専注する事が出来るならば、それはすでにジャーナに近いのである。…………………………………………………… ここにおいて、明確に注意を促したい事柄がある。それは即ち:禅定の光が当該の人物を照らす時、彼(彼女)が座っていても、立っていても、彼が楽しい状態にある所の、その様な姿勢を選択しなければならない。又、慈心の目標は、究極法ではなく、有情の概念(satta pa@atti)である事、である。
。。。★願以此功徳、早日証得涅槃楽!