南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

『智慧の光』(10-3/4/5)<K氏依頼分>

こうした事から、仏随念の修行を始める前に、必ず、先に仏陀の像をイメージしなければならない。そうでなければ、我々は、阿羅漢等の特質は、誰に属するのかを知る事が出来ないではないか?………………………………          仏陀の時代の人々は、仏陀の真正の容貌を観ずる事が出来るが、しかし、今は仏陀はすでに入滅てしまった。故に、我々は仏陀の像を観ずるより方法はない。仏陀の像で以て、仏陀を代表させる訳である。……………………            ここに一つの問題がある:仏陀の色相(rāpaママ)を観じないで、仏随念を修行してもよいかどうか?この問題に関しては、いくつかの論点が存在する。そうであっても、“世尊“(Bhagavā)というこの項の特質には、六個の定義がある。その中の一つは、一切の祥瑞(sīrā)を擁している事である。それは即ち、祥瑞である事と、敬うべき色相であるという事である。。故に、仏陀の祥瑞の色相を目標にして仏随念を修行する事は可能である。…………………………………………     あある種の人々は、以下の様に問うかも知れない:もし、過去世において、仏陀に出会った事がない、又は、かつて出会った事があるにしても、今生からは遠く離れていて、その為に過去の仏陀の色相が心中に出現しないとしたら、どうすればよいのか?と。…………………………………………………………………………実際は、彼は一尊の、己が一番尊敬する所の、仏陀の像を目標にし、その後で、仏陀に属する所の、ある一つの功徳を観ずる事に転換する事ができる。仏陀の九項の功徳の中から、己が一番好きな一項から始めるのである。……………………………………………………   事前に、功徳の含意を理解しておく必要がある。もし“阿羅漢“(araha@)と

いう、この功徳を選択したならば、あなたは、はっきりと明確にその五種の定義を知っておかねばならない。その後で、その中から、あなたが最も好きな定義のものを一種、選ぶのである。例えば、あなたの選んだ定義が、“彼は人と天神の尊敬を受けるべきである。というのも、彼の戒、定と慧は、独特で無二であるが故に。そうであるから、阿羅漢と呼ばれるのである。“貴男はこの功徳を禅修行の目標にしたのであるから、心の中において、“阿羅漢、阿羅漢“と黙念する。心が、“阿羅漢“という、この功徳に専注できる時、仏陀の色相は消失する可能性がある。もし、本当に消失したならば、それを探してはならない。ただ、引き続き、心をして、功徳に専注する事を保持せしめる。心が功徳に専注して約一時間経つ頃、もし、あなたが心所依処を識別するならば、あなたは、尋、伺、喜、楽と一境性という5個の近行定の禅支を見る事ができる。以上は、“阿羅漢“という功徳を目標に取って、仏随念の修行をする方法である。正等覚者(Sammā sambuddhoママ)、明行足(Vijjāーcaraoa sampannoママ)等の、その他の功徳への修行方法もまた同じである。……………………………………………………★願以此功徳、早日証得涅槃楽!