こうした事から、仏随念の修行を始める前に、必ず、先に仏陀の像をイメージしなければならない。そうでなければ、我々は、阿羅漢等の特質は、誰に属するのかを知る事が出来ないではないか?……………………………… 仏陀の時代の人々は、仏陀の真正の容貌を観ずる事が出来るが、しかし、今は仏陀はすでに入滅てしまった。故に、我々は仏陀の像を観ずるより方法はない。仏陀の像で以て、仏陀を代表させる訳である。…………………… ここに一つの問題がある:仏陀の色相(rāpaママ)を観じないで、仏随念を修行してもよいかどうか?この問題に関しては、いくつかの論点が存在する。そうであっても、“世尊“(Bhagavā)というこの項の特質には、六個の定義がある。その中の一つは、一切の祥瑞(sīrā)を擁している事である。それは即ち、祥瑞である事と、敬うべき色相であるという事である。。故に、仏陀の祥瑞の色相を目標にして仏随念を修行する事は可能である。………………………………………… あある種の人々は、以下の様に問うかも知れない:もし、過去世において、仏陀に出会った事がない、又は、かつて出会った事があるにしても、今生からは遠く離れていて、その為に過去の仏陀の色相が心中に出現しないとしたら、どうすればよいのか?と。…………………………………………………………………………実際は、彼は一尊の、己が一番尊敬する所の、仏陀の像を目標にし、その後で、仏陀に属する所の、ある一つの功徳を観ずる事に転換する事ができる。仏陀の九項の功徳の中から、己が一番好きな一項から始めるのである。…………………………………………………… 事前に、功徳の含意を理解しておく必要がある。もし“阿羅漢“(araha@)と
いう、この功徳を選択したならば、あなたは、はっきりと明確にその五種の定義を知っておかねばならない。その後で、その中から、あなたが最も好きな定義のものを一種、選ぶのである。例えば、あなたの選んだ定義が、“彼は人と天神の尊敬を受けるべきである。というのも、彼の戒、定と慧は、独特で無二であるが故に。そうであるから、阿羅漢と呼ばれるのである。“貴男はこの功徳を禅修行の目標にしたのであるから、心の中において、“阿羅漢、阿羅漢“と黙念する。心が、“阿羅漢“という、この功徳に専注できる時、仏陀の色相は消失する可能性がある。もし、本当に消失したならば、それを探してはならない。ただ、引き続き、心をして、功徳に専注する事を保持せしめる。心が功徳に専注して約一時間経つ頃、もし、あなたが心所依処を識別するならば、あなたは、尋、伺、喜、楽と一境性という5個の近行定の禅支を見る事ができる。以上は、“阿羅漢“という功徳を目標に取って、仏随念の修行をする方法である。正等覚者(Sammā sambuddhoママ)、明行足(Vijjāーcaraoa sampannoママ)等の、その他の功徳への修行方法もまた同じである。……………………………………………………★願以此功徳、早日証得涅槃楽!