wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

パオ・セヤドー講述「菩提資糧」(翻訳文)-30

引き続き、仏陀は説明する:

「比丘如此安住時、若其心傾向於説話、他下定決心不説這些話。

它們是什麽呢?這些話低劣、可厭、粗俗、卑鄙、無益、及不能

導向厭離、離欲、滅尽、寂静、上等智、菩提、与涅槃:

這些話是談王、盗賊、大臣、軍隊、危難、戦争、食物、飲品、

衣服、床、花飾、香水、親戚、車乗、村子、城鎮、都市、国家、

女人、英雄、街道、井、死人、瑣砕事、世界的起源、海的起源、

事情是否是如此。這些話我都不説。」如是、他対這些擁有完全

的明覚。

「談王」とは以下のように、諸王の事を話題にすることである:

「大選出王(Mahāsammata)、曼達度王(Mandhātu)、

無憂法王は、これこれの勢力を有している」等々。

盗賊等についても同じである。上記について、「どこそこの皇帝は、

非常に英俊である」等々(+の話題)は「世俗語」であり、八聖道

と涅槃に対立する「獣語」である。もし、「どこそこの、非常に勢力

のある人もまた、壊滅からは逃れられない」と言うなら、それは禅の

修習の範囲に入る。

盗賊に関しては、もし、初天(Mūladeva)又は大憂(Megamāla)

が非常に勢力があるとか、または「おお、なんという英雄である

とか!」というように、彼らの事を話題にするなら、それは

すなわち、世俗語であり、上記と同じ獣語である。しかし、

「彼らでさえも、壊滅から逃れることはできない」と言うならば、

それは禅の修習に合致する。

戦争についての談話は、もし、欲楽を満足させるために

Bharataの戦いで、誰々はこのように殺された、誰々は

このように負傷した」と言うなら、それはすなわち、獣語である。

しかし、もし「彼らでさえも、壊滅から逃げる事ができない」と

言うのであれば、それは禅の修習に合致する。

次に、もし、欲楽を満足させるために、食物等について「我々は

それらを咀嚼する、食べる、飲む、用いるが、見たところ

このようである、臭いはこのようである、味はこのようである、

触覚はこのようである」と語るならば、これらの言論は不適当で

ある。しかし、若し「以前、我々が諸大徳に供養したのは、

このような食物、飲み物、布、ベッド、花飾り及び香水であった:

我々はこのように仏塔を供養した」などと有意義な話をするならば、

それは適切な言論である。(+ )訳者。(つづく)

(<パオ・セヤドー講述「菩提資糧」>(1999年版)

中国語版→日本語 翻訳文責Pañña-adhika sayalay)