2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧
先日(2月25日)のブログに、 《安般念で心を護る》という文章をUPしました。 そこでは、悪意のある嫌味を言われた時、己の心を護るのに、安般念は有効である、と書きました。 では、他人は、善意から出発しており、でも、自分にはやはり、どうしても受け入…
2、伺(vicāra) 特徴は、何度も目標を審査する事。作用は、相応する名法を、何度も目標に置く事。 現起(現象)は、それらを目標にとどめる事。 尋が、心をして、目標に投入せしめて後、伺は、心をして、ひたすら、目標に上にとどめる様にする。 尋は、蜜…
今朝、えびす丸(旧名/虹君。トイプ。保護犬) を連れて、近所を、散歩。 岸から、小川に降りて、クレソンを摘む。 (トマト、セロリ、クレソン、ゆでたまごで、 ミモザサラダに!) 川の流れに手を入れても、もう水は、全然冷たくなくて、温かいくらいでし…
1、尋(vitakka) 特徴は、心をして目標に投入せしめる事。 たとえば、安般念を観じている時、尋は、すべての、相応する心所をまとめて、目標に投入する。 作用は、全面的に目標に衝撃する事。 現起(現象)は、心をして目標に向かわせる事。 八正道の中の…
六雑心所 尋・伺・勝解・精進・喜・欲という、六個の雑心所は、すべての心と共に生起するとは、限らない。 89種類の心は、必ずしも、六個の雑心所を擁している、とは言えない。 雑心所は、本質的に、善であったり、不善であったりする。 まさに、七個の遍一…
上記の、四種類の形式の中において、 嗣受用(dāyajjaparibhoga)と 主受用(sāmiparibhog)は、 如法の受用であり、 借受用(iṇaparibhoga)と 盗受用(theyyaparibhoga)は、 非法な受用である。 具戒者は、省察と思考を経た後に、資具を受用する様にすれ…
阿羅漢聖者が資具を受用する、その形式は、主受用(sāmiparibhoga)という。というのも、彼は、すでに、貪欲の奴隷になって奴役させられる所の、枷・くびきから解放されており、主人の身分で以て、資具を受用する事ができるが故に。 阿羅漢はすでに諸々の漏…
有学聖者が、資具を受用する、その形式は、嗣受用(dāyajjaparibhoga)と言う。 有学(sekkha)とは、通常、 入流聖者(sotāpanna)、 一来聖者(sakadāgāmi)、 不来聖者(anāgāmi) を指すが、この三種類の聖者は、尚、引き続き、修習と学びを継続しなけれ…
《相応部》義註の中において、以下の様に言う。 仏陀はかつて、《子肉喩経》を開示した時、比丘に対して、省察と思考を経ないで、四資具を使用するのは、重大な過患である事。この様な錯誤は、杜絶する必要がある事を、明確に告知した。 如来はまた、この件…
省察と思考を経ないで、資具を受用する事は、小事ではなく、非常に重い過失である。 仏陀在世の時、サーマネラが鉢の中の食物を、如理に省察も思考もしないまま、貪婪に受用しているのを見て、仏陀は即刻、誡告を行った: ”もし、私(仏陀)が第五番目のパー…
信施(信者による布施)は、功徳を求めて供養する訳であるが故に、僧人が、信施による四資具を受け取り、かつ使用しておきながら、その人に功徳を齎すことができないのであれば、これはまさに、貸し借りの一種であって、この人(僧人)は、未来の生において…
省察と思考を経ないで、四資具を使用する事は、借受用(inaparibhoga)と言う。 四資具を受用する者の心に、雑染が生じない時にのみ、施主は、大きな利益を得る事ができる。 資具を受用しながら、雑染を生じない方法は、如理に省察し、思考する事である。 も…
私は非常に幸運で、故に、この様なよい袈裟と食べ物を得ることができたとか、私は非常に幸運で、故に、この様なよい住居を得ることができたとか、この様なよい家具を使用しているとかの、この様な思考は、傲慢を引き寄せる; 己の物品を、他人が使うのを嫌い…
具戒者も、四資具を使用する時には、省察と思考を行わねばならない。 飲食、布地等、誰でもが使う物品は、雑染を引き起こす。 たとえば、貪欲、傲慢と嫉妬。 この袈裟は美しいとか、布地は柔らかく高級であるとか、食物は美味しく、健康によいとか、住む場所…
私はもう随分長いこと、安般念(アーナパーナサティ。 出入息念)の訓練を、してきました。 最近、<心を護る>とはどういうことか、が分かってきました。 誰か(例えば、Aさん)に、嫌味を言われた、とします。 私は、一瞬、ドキッとします。 そして、 「私…
仏陀は、具戒の者が(四資具を)受用する事を許可したが、無戒の者には、許可していない。 この四資具は、無戒の者には属さない。 信徒は、当該の僧人は、具戒の者であると信じて、供養する。 故に、信施というものは、無戒者に与えるものではなく、無戒者が…
四資具を使用するに当たり、それには、以下の様な、四種類の形式がある: 盗受用(theyyaparibhoga)、 借受用(inaparibhoga)、 嗣受用(dayajjaparibhoga)、 主受用(sāmiparibhoga)(注1)。 仏陀は、教法の中にある比丘とサーマネラが、四資具を受け取…
ある時には、信者は、己自身は簡素な食事をしても、僧人には、美味な食べ物を供養する; ある時には、己自身は飢えても、僧人に食物を供養する。 故に、もし、僧人が、ふざけ騒ぐ様な、軽率な、執着心でもって、貪欲に欲求する、その様な傲慢な心と態度で、…
四資具の使用 仏陀は、比丘が交易をしたり、農耕活動をしたりするのを、許可しなかった。この様な生活を、邪命とした。 出家者は、信施された四資具でもって、生活しなければならない。 ”この様に実践する比丘は、戒を具し、また高尚であり、礼敬(礼拝)と…
また、「想」心所を指揮して、速く、(所縁が)楽か苦であるかを標識する様にせしめる。 「一境性」を指揮して、速く、相応名法を、目標上に統合せしめる。 また、「名法命根」を指揮して、速くその作用を実践せしめて、それらの生命を維持する。 また「作意…
「名法命根」はすなわち、七個の相応する名法の生命を維持するものである。 それらの生・住・滅を維持して、それらが、各々の任務を演じることができる様にする。 「作意」は、すなわち、心を導いて、すべての相応の名法を味に向かわせるものである。 「思」…
「受」は、味の喜ばしいか、または、喜ばしくないかの処を体験し、喜ばしさを体験した場合、楽受が生起する; 喜ばしくないさまを体験した場合、苦受が生起する。 故に、「受」の作用とは、すなわち、所縁の味を体験する事にある。 「想」は、標識する事であ…
七個の遍一切心心所は、識知過程における、最も基本的な、かつ重要な作用を執行する; もしこれらが欠ければ、心王は、目標を識知する事ができない。 89種類の心の中において、七個の遍一切心心所は、必ず生起する。 たとえば、味が舌根を衝撃する時、「触」…
作意の現起(現象)は、目標と対面する事。 作意は、船をコントロールして、目的地に向かわせる、舵の様である; または、訓練を終えた馬を、目標に向かわせる御者の様である。 「作意」と「尋」の、二者の区別は、明確にしておく必要がある: 作意は、相応法…
作意とは、あなたの心を、授業の音声(先生の声)に向けさせる作用である。 もし、あなたに作意がないならば、私の音声は、あなたの耳根において、明確に顕現する事がない。 たとえば、私が、今、「パン!」という音を出したならば、あなたには、必ず聞こえ…
torosakuragi様 この度は、三度コメントを頂きまして、ありがとうございます。 仏教は、その理論も、修行方法も、なかなかに、奥が深く難しいものです。 以前、日本の禅寺で聞いた 「行って来い」 というのが、言い得て妙だな、と思います。 多く法を聞き(…
7、作意(manasikāra) 特徴は、相応法をして、目標に向かわせる事。 作用は、相応する名法を、目標に連結させる事。 作意は、心をして、目標に転向せしめる(作用である)。 作意を通して初めて、目標は、心中に顕現する事ができる。 授業を受ける時、あな…
もし、相応する名法を維持する所の、命根の存在がなければ、名法は、仕事を全うする事ができない。 たとえば、触は、衝撃を全うできず、受は、味を経験できず、思は、相応する名法を指導して、目標に対して行動を取らせる事が、できない。 故に、名法はみな…
torosakuragi様が、中国語をご存じないそうですので、 説明を追加します。 【沙馬内拉=サーマネラ(またはサーマネーラ) 巴拉基珈=パーラジカ】です。 昔、タイの僧院で、長老に 「比丘の227条、全部覚えているのですか?」 と質問した所、 「全部は、覚…
本日(2月22日)、 torosakuragi様より、 【『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>の <13-4>日本語訳に、 [サーマネラの10種類のパーラジカ] とあるのは、 中国語原文に、その様な文章が、本当にあるのか?】 という、確認のメールを頂きました。 中国語原文(…