Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

般若の独り言~安般念で心を護る

私はもう随分長いこと、安般念(アーナパーナサティ。

出入息念)の訓練を、してきました。

最近、<心を護る>とはどういうことか、が分かってきました。

誰か(例えば、Aさん)に、嫌味を言われた、とします。

私は、一瞬、ドキッとします。

そして、

「私は、Aさんに、嫌味を言われた。」

「私は、Aさんに、意地悪された」

と思って、一日中、不愉快になります。

で、実は、ここがポイント。

実は、<Aさんに嫌味を言われた>のは、私ではなくて、

私の<心>が、その様に受け取った、<だけ>なのですね。

ただし、ここで、

「Aさんは善意で言ったので、あれは嫌味ではない」

というような<論点逸らし>は、なし、です

(この種の<論点逸らし>は、問題の本質を歪めますので、ここでは推奨しません。勿論、人間には、他者の善意を、素直に受け取れない心の癖、という、別種の問題はありますが、それはまた別途)。

「Aさんは、嫌味を言った」

「それを聞いて、私は不愉快である」

という事実、前提に立ち、でも、それは、実は、

<【私】に言ったのではなく>、

<私の心が、その嫌味な言葉に反応しただけ>

であって、己の心を護るためには、その嫌味から、すばやく離れる事・・・すなわち、心が捉えた所の(正確には、心が捉えられた所の)

《いや~~な感じ》

を素早く「放下(手放す)」する事です。

結果、心は即刻、本来の、ニュートラルな状態、穏やかな状態に戻ります。

これが出来るのは、心は無常であり、私とは、無我であるから、です。

安般念をやっていると体得できます。

ゴータマ仏陀も、正等正覚を得た後でも、毎日、安般念は続けていたそうです。

あなたも、おひとつ、如何でしょうか?

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/

Paññādhika Sayalay 般若精舎>