Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)《実用アビダンマ》(7-19)(私家版)

5、無貪(alobha)

特徴は、心が貪欲に欲求しない事、または目標に執着しない事。ちょうど、水滴が、蓮の葉に粘着しないが如くに。水滴は、一瞬蓮の葉の上に乗っても、即刻、葉から、すべり落ちる。まったく執着、執取する事が無い。

これが、不貪の特徴である。

作用は、執着しない事。

それは解脱した比丘の様である。

現起(現象)は、無著(無執着)。

近因は如理作意。

無貪は、無貪であるだけでなく、ポジティブな品徳を含む。たとえば、布施をすることもまた無貪である。己の財物を差し出すことができるという事は、あなたの心中に、財物への執着がない事を著している。捨離、出家して五欲への追求を放棄することもまた、無貪である。己自身の家族に執着しない事、これもまた無貪である。

(7-20につづく)

<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>

 

般若の独り言~やはり野に置け

今朝、えびす丸の散歩の途中、里道に

<ほたる袋>

が咲いていましたので、一茎摘んできました。

一茎で、12輪も花がついています(未開花の極小蕾も含む)。

野の花を、つい摘んで、精舎に持って帰ってしまうのは、やはり《所有欲》のせいですね。

高度成長期に青春時代を過ごした団塊の世代、頑張って(無理して)働けば、働いただけ収入が増えまして、それで物を買う、それで生活が充実する、それが幸福・・・と勘違いしてしまった向きがあります。

野の花を摘んで帰って、感動するのは一瞬で、あとは少し後味の悪い、申し訳ない様な気持ちになります。

といいますのも、野の花を摘んで帰って花瓶に挿すと、ほほ100%、急速に、元気がなくなるのです。

やはり野に置け・・・本当にその通りです。

(飾っている<ほたる袋>に蛍がやって来て、中で一休み・・・それなら嬉しい限りですが)。

(<ほたる袋>写真は後ほど)

追記:幼少の頃、親にねだっても買ってもらえなかった品物を、自分で働いたお金で購入する・・・

これは大人としての、自立への一歩でありますから、働いて好きな物を購入する喜びの感情は、全否定するべきではないとは、思います。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/

Paññādhika Sayalay 般若精舎>

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(19-13)(私家版)

棍棒や武器でもって、攻撃する以外に、多くの殺生の方法がある:

落とし穴を掘る、罠を仕掛ける、

毒薬、呪術、脅し、相互に戦わせる、

自殺を唆す、堕胎薬を提供する、

自殺願望者の傍に毒薬を置いて自殺を誘因する、

拳銃を自殺願望者の傍において、自殺を誘因する等は、皆、殺生の手段に属するものである。

どの様な手段であっても、その目的が死に至らせるものであれば、破戒はおしなべて、成立する。

(19-14につづく)

<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(19-12)(私家版)

殺したいという心をもって、色々と実行したものの、動物が死亡しなかった場合、不犯。

殺したいという心をもって、動物に打撃を与えた所(すぐには死なないで)、その動物が、それが原因で、何年か後に死亡した場合、打撃を与えた時点からすでに、破戒が成立する。

(19-13につづく)

<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>

般若の独り言~地獄への道

西洋のことわざに

<地獄への道は、善意で舗装されている>

というのがあるそうです。

以下、私の反省。

私は最近鋭意、精舎の整理整頓、断捨離をしていて、その一環として、古布を1cm幅のリボン状に裂いて、裂き織のマットを作っていることは、何度かお話したと思います。

5、6枚作り貯めた時点で、先日、温泉施設でよく会う知人に、一枚差し上げました。

彼女は在の人で、私が農家から直接お米を買う時など、よく協力してくださるので、感謝の気持ちを込めて、良品を一枚・・・

しかしながら、私は

『このマットは二日もあれば、織り上がる事。

それは、最近の卓上機織り機が、非常に使いやすい様に、進化しているから。

縦糸は人から貰ったもの。

横糸は、精舎にある古布を裂いたもの。

材料費0円です。安心して貰って下さい。』

と、くどくどと説明してしまいました。

彼女は一言

「ああ、眠たいなぁ(今日はまだお昼寝していなかったわ)」。

そうなんですね。人に物をプレゼントする時、たとえ善意からでも、ダラダラ説明してはいけませんね。

地獄への道は善意で舗装されている・・・私の善意が彼女に不快感を呼び起こした様です。

もう一つ、これはキリスト教で言われている格言・・・

【右手でやる事を左手に知らせてはならない】

よい事をする時はさりげなく・・・それは、キリスト教でも、仏教でも、同じですね。

反省しきり。

追記:

<地獄への道は・・・>には、もっと深い意味があるかと思います(例えば、聖職者の善意は、実は悪意から出ている場合もある、とか)。

私は、西洋文化に疎いので、本文の意味合い、浅い意味に使わせてもらいました。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/

Paññādhika Sayalay 般若精舎>

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(19-11)(私家版)

土を掘っている等の状況の下、そこに動物がいる事を知らないでいた、また、殺すつもりはなかった時、すなわち、不犯;

動物をそこから去らせるために、驚かしたもので、動物を殺そうとは思っていないながら、しかし、その攻撃によって、誤って動物が死亡した時、不犯である;

(19-12につづく)

<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>

★『教海覚舟』<教えの海悟りの舟>(19-10)(私家版)

以下の状況下では、不犯である: 

たとえ、殺したいという心が存したとしても、殺した対象が、(息をしている所の)生命ではない時、不犯である。道を歩いていて、誤って、昆虫を踏んで殺した、または(車の運転をしていて)動物を轢いてしまった時、他のものであると勘違いして、それを殺そうという心が、存しない時、すなわち、不犯。

(19-11につづく)

<願以此法布施功徳、早日証得涅槃楽>