Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(50ー3)(私家版)

業の定法:それは、なした所の業の、その善か悪かによって、それに符合する所の、果報を確保する。。。            例えば、(植物の)種は、その種類の基づいて、果実を生む。。。。。。。。。               我々が、手にあるボールを壁に向かって投げつけたならば、その力が大きい時は、ボールの戻って来る力は大きい。力が緩い時は、ボールの戻って来る力は小さい。。。これが、業の定法である。。。。。。。          ボールは、壁に向けて投げつけられれば、必ず弾んで、戻って来る。。。        業をなし(造り)続けるならぱ、必ず果報が生じる。どの様な果報を受け取るかは、どの様な種を植えたかによる。。。。。       苦瓜の種を植えたのであれば、将来、生じる果実は苦瓜であり、ヘチマや冬瓜にはならない。。。               我々は、善なる果が欲しいのであるならぱ、善の因を植えなければならない。苦の果が欲しければ、苦の因を植えればよい。この様に、野菜や果物を育てる事の中にも、非常に多くの仏法が内在している。

身・口・意を慎んで

本日翻訳UPしました、業に関する解説   <実用アビダンマ(50ー1)>、       なかなかに、怖いものがあります。。。      業とは、長い輪廻の中において積み重ねた心の癖と、その心の癖が引き起こす、諸々の現象。。。。。。。。           それらは、善なるものもあれば、望まない不善なるものものもあります。。。               私の精舎は、九州のとある片田舎、温泉町にあります。。。              あちらこちら、温泉が豊富に湧き出る為、精舎で風呂を沸かさず、毎日、共同温泉に湯浴みに行きます(比丘は戒律の規定で、人の集まる所で衣を脱ぐことは禁止。その為、共同温泉は入れません。貸し切りにすれば入浴可能。サヤレーには、この戒律の適用はなし)。。。               毎日、共同温泉に行っていますと、多くの方々と顔見知りになります。その中で、何人か、こまったさんがいます。。。        他人の外観の欠点を言い立てる人、あのボランティアをした、このボランティアをしたと、ボランティアが趣味で、延々とボランティア自慢をする人………いえ、私もたまに、姪の自慢、海外在住の孫自慢します……(汗)。。。。。                           パオ森林僧院ヤンゴン分院住職のクムダ・セヤドー教えて曰く:          「身・口・意に気を付けて。凡夫は頭の中の悪い考えを止める事ができないが、せめて、それを口に出して言わない様に努力しなさい。」。。。。。                              頭の中で考えているだけなら、業としては軽く、身体または口による実行動に移すと、業としては重くなるからだと思います。。。。。                  ご参考まで。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(50ー2)(私家版)

■業と果報               1.業                  一つ一つの願望を伴った行為は、皆、果報を生じる。。。、。。              因が果を生じせしめる為、そを見れば因が分かる。。。                 例えば、己の生活の様子、容貌、寿命、健康状態、性別、智慧などなどは、果である。。。                   果をみれば、己が前世で蒔いた因を知る事ができる。。。。              業は善なるものと、不善なるものとがある。果報の本質からみると、善と不善の区別は持たない。               善であるとか、不善であるとかを言うのは、その善業又は不善業が齎す、結果を言うのである。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(50ー1)(私家版)

✥四種の業✥              業:パーリ語「kamma」。。。。。           その意味は「造(ナ)す事」。。。。   善又は不善の思心所の事。。。。        52心所の中に一個の思心所があり、それは業を造る所の心所であり、それがまさしく業である。。。              仏陀は《増支部》の中において以下の様に言う:                 「比丘達よ。私は、業とは即ち思であると、言う。それの願いに基づいて、人々は、身・口・意を通して、業を造る。」   業が熟した時、ある者は地獄に墜ち、ある者は動物になり、ある者は餓鬼に、なり、ある者は人身を得、又は天道を得る。。。   業の異熟(即ち果報)は、3種ある:     現生受有、次生受有、無尽業。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(49ー7)(私家版)

梵天(界)の寿命は非常に長い。。。    その間には既に、幾尊かの仏が出現したものと思われるが、彼らの寿命はまだ終わっていない。。。               梵天の寿命が長すぎる為、彼らの中に己が世界を創造したのだ、と言う邪見が生まれた。即ち、世界に存在する全てのものは、彼が創造したのであって、彼は創造主であると考えた。。。。             と言うのも、他の生き物は生き死にするのに、彼だけが死なないが故に。。。       大梵天神に、この様な邪見が生まれた時、仏陀はそれに気がついて、梵天の所へ行って、梵天神に真実を知らせ、彼がこの様な邪見を捨てられる様に支援した。。。。。        ■色界結生とその寿命。無色界結生とその寿命。(解説を省略する)。。。

翻訳(中→日)<実用アビダンマ>(49ー6)(私家版)

《分別論》の中において、以下の様に述べられている。。。                四大王天の一「日」は、人間界の50年。。                    33天の一「日」は、人間界の100年。。。                  夜摩天の一日は、人間界の200年。。。    兜率天の一日は、人間界の400年。。。   化楽天の一日は、人間界の800年。。。   他化自在天の一日は、人間界の1600年年。。。                   この様に、上層に行く程に、その寿命は倍加する。