2018-12-01から1ヶ月間の記事一覧
いよいよ年も、押し詰まって参りました。 我が盆地は、昨日から今日にかけて、粉雪がちらほら・・・寒くなりました。 明日は、次男がお正月を過ごすために、我が庵にやってきます。 何が食べたいか尋ねますと「普通のもの!」と言いますので、黒豆と昆布巻以…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 止禅心には、極光浄なる光明があるのであろうか? そう、間違いなく(+あるのである)。 観禅心には、極光浄なる光明があるのであろうか? そう、間違いなく(+あるのである)。 しかし、大多数の人々は、生滅…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (P2) 彼がこの様に修習するならば、一体何が発生するであろうか? Yam hoti cittaṃ nuduñca kammaniyāñca pabhassarañca. ーー「その心は、変化して柔軟になり、作業に適合し、また極光浄になる。」 柔軟で、適…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 故に、定と精進をバランスする事は必要である。 精進には、二種類ある: 身体の精進と、心の精進である。 この二種類は、共に充分に、堅固でなければならない。 禅修行者の身体が、席において座っているとしても…
今年一年を振り返ってみますと、私の知人の、その親戚という方が、何名か亡くなられました。 私は一一の葬式に参加しておりませんので、その詳細な様子は分かりませんが・・・。 私はタイと緬甸で一度づつ、葬式に出くわしたことがあります。 タイでは、私が…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (P1) 増上心とは何か? 止禅心(サマタ修習心)と、観禅心(vipassanā修習心)の二者は、共に増上心である。 今まさに、止禅心と観禅心を育成している最中の比丘は、ある時は、定力を育成するために、定を誘発…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (P1) 第一章 智慧の光とは何か 智慧には光明があることについて、仏陀は《増支部・ 三集・掬塩品・相經》(Aṅguttara Nikāya、Tika Nipāta Loṇakapallavaga、Nimitta Sutta) の中において、以下の様に言う: Y…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> xxiii 尊者が教授する禅修の方法は、律蔵、經蔵、アビダンマパーリ三蔵聖典と《清浄道論》の、三学、七清浄及び、16観智による、指導次第である。 パーリ三蔵の典籍における、中国語翻訳の重要性に鑑み、尊者は長…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> xxiii 緬甸 本雅難陀尊者 紹介 本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)は、禅修行の指導を開始して後、すでに十余年の長きに達した。 あの、善くて巧みで、深い事柄を、易しく説明する彼の禅の指導、生き生きとして、…
私は、もうすぐ古稀(70歳)を迎えます。 昔は、70歳まで生きられる人は少なく、故に、70歳まで生きた人々は<古来希なり>とたたえられた訳ですが、今は70歳は鼻たれ坊主、100歳まで生きる人もいます(笑)。 とはいえ、齢70ともなれば、若い頃よりは、確実…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> xxi 彼が教授する禅法は、《清浄道論》の中の三学、七清浄及び16観智の修行順序に従ったものであり、禅修行者は「戒清浄」を、定・慧の二つの増上学の基礎とするべきであると、強調するものである。 xxii 人の根…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1981年(47歳)、U Aggañña 長老の要請を受けて、パオ森林僧院の住職になり、僧院内部に居住する人々に、禅の修行を教え始める。 その教法が殊勝であったため、その時より、禅の修行者は、数百人に上ったが、その…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1956年(23歳)の時、サンガ試験に参加して、Dhammācariya(法師)の資格を、取得する。 1964年(30歳)より、当代の幾人かの長老について、四界分別観、出入息念、観禅などの業処を、多年にわたって、学ぶ。 そ…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> xxi 緬甸 パオ・セヤドー紹介 緬甸 パオ・セヤドー(パオ禅師 Pa-Auk Sayadaw)、法名 Āciṇṇa(意味は「慣行」)。 1934年緬甸中南部 Hinthada Township Leigh Jhyaung 村にて出生。 1943年(9歳)の時、同村の …
本雅難陀尊者の著書『禅修指南』は、来年、年明けから翻訳する予定でしたが、小人閑居して何とやら・・・アマ〇ンのWEB画面を眺める暇があったら、翻訳しましょう、ということで(笑) 年末年始を挟んで、何日かお休みする日もあるかと思いますが、翻訳始動…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 『禅修指南』の日本語訳は、2019年7月16日、表付きの完全版が、<菩提樹文庫>においてUPされましたので、当 hatenablog 版は、抹消閉鎖いたします。 XiX 序文 《禅修指南》(第二版)は、 本雅難陀尊者(Ven. U.…
今、私の手元に、タイの風鈴が、一個あります。 粘土でかたどった、素焼きの犬が 5匹、天蓋から細い紐で結ばれてぶら下がっている、素朴な風鈴です。 これは、私が35歳の頃、タイのカンチャナブリにある中高一貫校で、日本語教師を務めた時に、中学生だった…
何週間か前の当該のブログで、40年前、タイの森林僧院で「サマタ・vipassanā」という言葉を聞いた時、「私のチャレンジしたい修行法はこれ!」と閃いた話を、書きました。 では、サマタ(止)& vipassanā(観)とは何でしょうか? まず、vipassanā から。 …
先日翻訳を完了致しました『涅槃証悟の唯一の道』 (パオ・セヤドー著)は、WEB<菩提樹文庫>湖寂管理人様のご厚意により、当該文庫に、正順にて掲載される運びとなりました。現在、鋭意、編集作業中です。 12月末または1月、正順で掲載されましたら、興味…
<無我と非我について> 昨日、『涅槃証悟の唯一の道』の翻訳が終わりました。 翻訳しながら、<この文章、この表現は重要だな>と思った翻訳文に関しては、《重要必読》と入れておきました(独断と偏見による)。 昨日翻訳した<No.12-2>も《重要必読》だ…
本日、パオ・セヤドー著『涅槃証悟の唯一の道』の翻訳が終了いたしました(いくつかの表と、尾註の一部は、作表困難の為、割愛しました)。 3か月前までは「もう仏教書の翻訳はお終いにして、これからは修行に専念しよう」と思っていたのですが、『涅槃証悟…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 仏陀は《有愛經》(Atthirāga Sutta)の中において、識が如何にして、四食の方式によって、住立するのかを、説明している: ”比丘たちよ。 食を掴む(kabaḷīkāre-āhāre)、 食に触する(phasse āhāre)、 意思を…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 四大種とは、地、水、火、風界の事である; 四大種所造色とは、24所造色を指す。 例えば、五浄色、命根、色、音声、香、味、二種類の性色、空界等である。 受胎の識は、識蘊(viññāṇākkhandha)であり、識の縁(v…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 五取蘊=名色(nāmarūpa): 名色とは、受・想・行蘊と色蘊の事を言う。また、五蘊すべてである、とも言える。 名色=受・想・行・色蘊: 《相応部・分別經》(Vibhaṅga Sutta)の中において、仏陀は、縁起の12の…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 次に続く経文においても、色、音声などと、過去、現在、未来においても、この様に照見するべきだと指導している。 聖弟子がこの様に照見する時、眼、色などに厭離を育てる。 仏陀は《眼經》(Cakkhu Sutta)の中…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> また、仏陀は《内苦經》(Ajjhattadukkha Sutta)の中において、以下の様に教え導く: ”比丘たちよ。 眼は苦である。 苦であるものは、すなわち、無我である(Taṃ dukkhaṃ tadanattā)。 無我とは、すなわち、 ’…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (141/160) 尾注 A、五取蘊=六内、六処: 仏陀は、《相応部・内処經》(Ajjhattikāyatana Sutta)の中において、以下の様に言う: ”比丘たちよ。 苦聖諦とは何か? それは六内処である、と言うべきである。 何…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (P135、136、137、138、139の表は省略) (140/160) 四諦(Catusacca)による究極諦の分類 A、苦諦(dukkhasacca)= 4個の大種、24個の所造色。 8個の貪根心、2個の瞋根心。 2個の痴根心、7個の不善果報心。…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 3.1)五蘊を無常として随観する。五蘊に対する常想(nicca-saññā)を断じ除く事ができる。 3.2)五蘊を苦として随観する。五蘊に対する楽想(sukha-saññā)を断じ除く事ができる。 3.3)五蘊を無我として随観する…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 三種類の遍知 出世間八支聖道の生起は、三種類の遍知のなかの、第三番目の遍知(pariññā)ーー断遍知(pahāna pariññā)の最後の段階に、属するものである。 (1)16観智の最初の二種類(名色分別智と縁摂受智)…