<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
次に続く経文においても、色、音声などと、過去、現在、未来においても、この様に照見するべきだと指導している。
聖弟子がこの様に照見する時、眼、色などに厭離を育てる。
仏陀は《眼經》(Cakkhu Sutta)の中において、同じく、以下の様に解説する:
”比丘たちよ。眼において生起し、住立し、再生し、出現するものは、すべて、苦の生起であり、病の住立であり、老、死の出現である。耳・・・すべて、鼻・・・すべて、舌・・・すべて、身・・・すべて、意・・・すべて、老、死の出現である。”
これが六内処である。当該の相応する所の経文の中において、仏陀は同様の方法でもって、六外処、六識、六触、六触生受(=六触による受の生起)、六想、六思、六愛、四界、空界、識界と五蘊について説明しているのである。
また他に、《梵行何求經》(Kimatthiyabrahmacariya Sutta)の中において、仏陀は比丘たちに、一切法に基づいて、外道の出家者たちに苦に関する説明をする様にと教えている:
”賢友よ!眼は苦・・・色・・・眼識・・・眼触・・・眼の縁によって生じる所の受、または楽、または苦、または不苦不楽、それはまた苦である。
これを遍く知るために、仏陀は梵行に住する。”
次に、(+仏陀は)同じ様に、耳、鼻、身と意について、解説する。
(12-4につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>