<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
第二節 観業処の第二段階
次に、vipassanā の第二段階に進む:
【[2.1]あるいは、身随観において、生起する所の法(samudayadhammā)に住し、
[2.2]あるいは身随観において、壊滅する所の法(vayadhammā)に住し、
[2.3]あるいは身随観において、生起と壊滅する所の法(samudayavaya dhammā)に住する。】
二種類の生・滅
《清浄道論》と《無礙解道》に基づくと、二種類の生・滅がある:
(1)縁生・滅(paccayato udayabbaya):
1、あなたが無明が原因で、行が生起し;行が原因で識が生起するなどを見る時、これは正順(anuloma)縁起というーー諸々の蘊における、縁生の証知である。
2、あなたが無明が滅する時、行が滅し、行滅するが故に、識が滅する等を見る時、これは逆純順(paṭiloma)縁起というーー諸々の蘊における、縁滅の証知である。
(2)刹那生滅(khaṇato udayabbaya):これは、諸々のうnが刹那刹那に生、滅し、また変易しているのを言うーーこれはそれらの無常の相である。
この二種類の生・滅を照見する事は、すなわち、観の修習の第二番目の段階に相当する。
縁の生・滅を識別しなければならない、その理由は、我々が永遠の自我があるとか、霊魂があるとかの邪見(miccādiṭṭhi)を取り除く為であり、また、死後は滅に帰するという邪見を取り除く為にでもある。
あなたは、己自身の証知に基づいて、生と死との発生は、諸々の縁によるのであり、これらの縁が消滅する時、生死流転もまた余す所なく、滅尽する。
これは、我々が<序論>において、言及した所の正順縁起(anuloma paṭicca-samuppāda)と逆順縁起(paṭiloma paṭiccasamuppāda)の事である。
正順縁起
””比丘たちよ。何が苦集聖諦であるか?
無明の縁によりて行あり、行の縁ありて識あり、識の縁ありて名色あり、名色の縁ありて六識あり、六識の縁ありて触あり、触の縁ありて受あり、受の縁ありて愛あり、愛の縁ありて取あり、取の縁ありて有あり、有の縁ありて生あり、生の縁ありて老、死、愁、悲、苦、憂、悩が生起する。
この様に、苦蘊の全体が生起する。
比丘たちよ。
これを苦集聖諦と言う。”
逆順縁起
”比丘たちよ。
何が苦滅聖諦であるか?
無明の滅する時、すなわち行滅す。行滅する時、すなわち、識滅す。
識の滅する時、すなわち、名色滅す。名色滅する時、すなわち六処滅す。
六処滅する時、すなわち触滅す。触滅する時、すなわち、受滅す。
受滅する時、すなわち愛滅す。愛滅する時、すなわち取滅す。
取滅する時、すなわち、滅あり。滅ある時、生の滅あり、生の滅ある時、すなわち、老、死、愁、悲、苦、憂、悩が滅する。この様にして、苦蘊の全体が尽滅する。
比丘たちよ。
これを苦滅聖諦と言う。”
(9-2につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>