2017-06-01から1ヶ月間の記事一覧
昨日、近所の知人から電話があり「明日、大学病院に行かなければならないけれど、一時間に一本しかないバスに合わせていると、受付に遅れてしまう」「あなたのパジェロで送って貰えないでしょうか?」と、遠慮がちに、頼まれました。 この週末は急ぎの用事も…
先日、アマ〇ンで注文して、ホンマ君をご購入。 アマゾンは、葬儀や法事に、僧侶を派遣するようになったけど、ホンマ君派遣してもらって、何してもらうの・・・? いえいえ、ホンマ君は、便利屋の青年でなくて、ホンマ〇作所の<レジャーカマド>という、室…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 4、修行において、我々は、事物を蓄積したりしてはならないし、事物に執着する心を、蓄積してもならない。 そして、事物を放下し、負担(=背負っているもの)を放下するのを喜ぶ心を、育成しなければならない。…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> この点に関して、私は梵種長老(Ajahn Brahmavamso)が著した≪修行の基本的方法≫≪The Basic Method of Meditation≫を、紹介したいと思う。 当該の書物の中で、彼は「放下」の方法について、絶妙な解説をしており…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> しかしながら、このように修行を進めていったとして、彼らは往々にして、邪定を得ることになってしまう。 彼らが、正しい道を歩んで正定を得る前、彼らはすでに、それなりの時間を費やして、邪定を育成しており、…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 定の修習における最も重要な法則 定の修習における最も重要な法則とは何か? 「聖弟子は、放下(=手放す事)を目標として、心における、一境への専注を得る。」《相応部・根相応・第9経》 上記の経文から、定の…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-6-5-2 定覚支を生起させる事の出来る11種類の方法 定覚支を生起させる事の出来る11種類の方法は、以下の通り: 1、依所(=住まい)を清潔にする。 2、五根をバランスする。 3、取相(すなわち、禅の修行の…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-6-5-1 軽安を生起させることのできる7種類の方法 これ以外に、軽安を生起させることのできる7種類の方法がある。 1、良い食べ物。 2、心地よい気候の場所に住む。 3、リラックスした姿勢を保つ。 4、中道…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 少しばかりの覚知(=自覚)があれば、我々は、我々の心内の評論は「私」や「私の」を巡ってグルグル回っていることが分かる。 我々は、己自身について、煩わしさを感じるようになり、この内心のラジオを止めて、…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ここにおいて、上に述べた軽安、定と捨という、この三種類の覚支を育成するに有益な数々の方法に関して、それらはそれぞれの覚支の栄養(または因)であることを、理解しなければならない。 仏陀は言う: 「比丘…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-6-5 心がコントロールされるべき時にコントロールされる 人は、どのようにして、その心がコントロールされるべき時にコントロールされるか? 心が、あまりにも強すぎる恐怖心と喜悦で動揺する時、彼は択法、精…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 上記の経文から、我々は定の修習において、脳内に起伏する思いや考えは、粗いものから微細なものへと、変化することが分かる。 最初の段階では、非常に粗い煩悩があり、それらは身業や口業の方面で、表現されるこ…
いよいよ梅雨の到来で、九州は、今日は午後から豪雨になるとの事。 暴風雨であっても、水中運動だけは欠かせませんが、庭を少し見回ったら、後はオウチで静かに蟄居ですか、ね。 写真は、噂の愛犬オハナ君。 オハナは、佐賀の山の中に捨てられていたペキニー…
インド仏教界の英雄、佐々井秀嶺師が、四国の過疎村土佐町に講演においでになるというので、はるばる大分からフェリーに乗って、土佐町田井の農業改善センター(講演会場)まで、行ってきました。 途中寄り道をしたので、講演会場に到着したのは、開始時間ギ…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> これらを除去した後、彼の心の中には、いまだ中等レベルの雑染がある。たとえば、欲望、憤怒、人(=他人及び自己)を傷つけたいという思いである。 熱心で、有能な比丘は、これらの思いを放棄し、駆逐し、廃止し…
今朝、IT の記事を読んでいましたら、マインドフルネス、すなわち仏教では、<考えない事>をお勧めしている、というお話が、載っていました。 確かに、私たち現代人は、考えすぎてしまって、かえって身動きが取れなくなる場合が多々あり、脳内のおしゃべり…
13日、駅前にある絣織専門店に行ってきました。 尼僧になったので、もう絣を着る事はありませんが、店番している人と雑談してきました。 「仏教って何?」と問われたので: 在俗の人にとっては、仏陀の教えた 38 の幸せ(吉祥経)を参考にして、生きるのがよ…
6月10日付の<是誰庵のひとやすみ>のお題は、「脳にはNoを」でした。 この修行の理念・根拠は: (1)心は一刹那に一つの仕事しかしない。 (2)心は仕事を終えると、エネルギーを使い果たして、消える。 (3)脳は、情報のストレージ、貯蔵庫であり、人…
今年、果物の出来は、あまりよくないらしいです。特に、桃、杏、李などがダメなのだとか。 その代り、花は割と順調で、我が家のバラは、次から次へと花を咲かせ、実生のウツギも、白い花をいっぱい咲かせています。 写真は、バラ~~上段がポニカ、下段はラ…
<Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu> その後に、鍛冶屋または鍛冶屋の弟子は、金粉を溶炉に入れて、それを、冶金し、精練し、鍛錬する。しかし、彼は、それでも金を炉から取り出さない。 というのも、残渣はいまだ完全には取り除かれてはおらず、(…
知人の友人が、昔の嫌な思い出に翻弄されて、ウツ気味で入院したとの事。 昔のであっても、今のであっても、嫌な想いに翻弄されない、よい解決方法を一つ、紹介します。 我々は、時々、いや、度々、自分が被った、嫌な思い出を思い出します。 実は、我々は、…
<Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu> 【引証】粗い煩悩から微細な煩悩への浄化ーー《増支部・三法集・第100経》 「比丘たちよ。金(鉱)の中には粗雑な物質がある。ちょうど泥と砂礫(+の関係)のように。 鍛冶屋、または鍛冶屋の弟子は、先に金を…
<Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu> 浄化の過程 ある種の人々にとって、行道は艱難である。 五蓋等の、敵対する状況の頑強な抵抗の為に、行道は困難になる。《清浄道論・第三章》 人々は、時々、理解できなくなる: ある種の人々にとって、止禅の修…
<Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu> 座禅・瞑想(+を意識的に)終わらせる事、すなわち、収功は、気の滞りを治すよい方法である。 この事は、気功の鍛錬を終わらせようとする人が、収功を、必ず行わなければならないのと同じ道理であるが、双方と…
<Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu> 方法:心をして、各々の身体の部分について、 一時、(+生じる感覚を)感受せしめる。 ただし、その感受が鮮明であろうが、鮮明でなかろうが、(+心は)そこにとどまってはならず、次から次へと、次の身体部分…
<Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu> 【瞑想を終了する方法】 あなたが、心を呼び戻し、かつ、全身の粗さを、一定時間感受した後、内心において、己自身に、以下のように呼びかける: 「願わくば、私が発散した一切のエネルギーが、すべて、我が心内…
<Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu> 捨離随念を通して、たとえば、自分自身お腹がすいている時に、美味しい食べ物を、梵行の友人に布施したことなどを省察する時、喜覚支は生起する。 自分自身には、衆生が天神になることを可能にさせる信、戒、善…
<Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu> 8-6-4-3 喜覚支を生起させることのできる11種類の方法 1,仏随念; 2,法随念; 3,僧随念; 4,戒随念; 5,捨離随念; 6,天随念; 7,寂止随念; 8,粗野な人から遠離する; 9,教養ある人に親しむ…
今朝、ゴミを捨てに行く途中、石垣に咲いているのを、見つけました。 この中に蛍が入って、ボーと光ると、美しいでしょうね。 そういえば、近くの神社の傍を流れる清流に、もう蛍は出ているでしょう。 今夜、見に行こ!
<Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu> 随喜の言葉を述べた後、樹神は言った: 「尊者、あなた様のような聖者に食物を供養した後、あの老婦人は、一切の苦から解脱するでしょう。」 長老は立ちあがって、扉を開けて外を見ると、時刻はいまだ相当に早く…