パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-62
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
ここにおいて、上に述べた軽安、定と捨という、この三種類の覚支を育成するに有益な数々の方法に関して、それらはそれぞれの覚支の栄養(または因)であることを、理解しなければならない。
仏陀は言う:
「比丘たちよ。
何が、未だ生起していない軽安覚支が生起する栄養であるか、またはすでに生起した軽安覚支を成長させ、増長させ、強化し、円満にさせる栄養であるか?
比丘たちよ。
身(=心所)の軽安と、心の軽安がある。
如理作意、それらは、未だ生起しない軽安覚支を生起させる栄養であり、またはすでに生起した軽安覚支を成長させ、増長させ、強化し、円満にさせる栄養である。
次に、比丘たちよ。
何が、未だ生起していない定覚支が生起する栄養であるか、またはすでに生起した定覚支を成長させ、増長させ、強化し、円満にさせる栄養であるか?
比丘たちよ。
平静の相と不混乱の相がある。如理作意、それらは、未だ生起しない定覚支を生起させる栄養であり、またはすでに生起した定覚支を成長させ、増長させ、強化し、円満にさせる栄養である。
次に、比丘たちよ。
何が、未だ生起していない捨覚支が生起する栄養であるか、またはすでに生起した捨覚支を成長させ、増長させ、強化し、円満にさせる栄養であるか?
比丘たちよ。
捨覚支となる基本的な法がある。
如理作意、それらは、未だ生起しない捨覚支を生起させる栄養であり、またはすでに生起した捨覚支を成長させ、増長させ、強化し、円満にさせる栄養である。
(《相応部》)
ここにおいて、この三種類の状況において、如理作意するということは、観察を通して、また彼の心中に生起した軽安、定と捨を重複(+して体験)する方式であり、そのことによって、それらの作意を、激発せんとするのである。
安寧と静けさ自体は、すなわち平静の相であり;不混乱の相はすなわち、不散乱を意味する。
(5-63につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>