Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2017-11-01から1ヶ月間の記事一覧

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」 1‐10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 三帰依 (<1-5>既出により省略)。 八戒 ☆比丘が一条(または一句)念じる毎に、受戒者は続けて念ずる: 1、Pāṇātipātā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi. (私は殺生を離れる学処を受持します) 2、Adinnād…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」1-9(10/228 )

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 二、布薩八支戒 (Aṭṭhaṅga-uposathasīla) 三帰依と布薩八戒の法の求受 Ahaṃ, bhante, tisaraṇena saha aṭṭhaṅga samannāgataṃ uposathasīlaṃ dhammaṃ yācāmi, anuggahaṃ katvā sīlaṃ detha me, bhante. (尊…

「身念処」1-76(67/203)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 明覚(=明確な覚醒心)の作用が生起する時、前の姿勢の苦苦を、非常に容易に体験・体得する事ができる。 ただし、行苦(新しい姿勢に転換した後にも、まだ残る苦)は、非常に体験・会得しにくい――というのも、新…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」1-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 発願と回向 Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā’vaham hotu. (私のこの功徳によって、諸々の漏が尽きるよう導き至れる事を願います) Idaṃ me sīlaṃ nibānassa paccayo hotu. (私がこの戒を持する事をもって、涅槃の縁…

是誰庵のひとやすみ~仏教徒は謙虚であれ

昨日のブログ「nimittaは万能か?」でも書きましたが、 仏教徒は特に謙虚でなければなりません。 修行が進んでいる人は、尚更に。 パオ・メソッドで修行が進んでいる人は、己の過去世が分かっています。過去には人であった事も、動物であった事もあるでしょ…

是誰庵のひとやすみ~nimittaは万能か?

テーラワーダの瞑想方法、特にパオ・メソッドに人気があるのは、nimitta(鼻の前で見る光。禅相とも言う)が見えるか見えないかを、進歩のバロメーターとしていて、今自分は近行定にいる、安止定にいる、いや、初禅だ、二禅だと、非常に分かりやすいからだと…

「身念処」1-75

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 明覚(=明瞭な覚醒心)でもって、各種の姿勢を継続して観照する時、如理作意でもって煩悩を防止して、内心に好き、嫌い(+の感情)を生起せしめないようにしなければならない。 このようにして初めて、修行者は…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」1-7

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 五戒文 比丘が戒を一条(または一句)念じる毎に、受戒者は比丘について念じる: 1.Pāṇātipātā veramaṇī sikkhāpadaṃ samādiyāmi. (私は殺生を離れる学処を受持します) 2、Adinnādānā veramaṇī sikkhāpadaṃ …

Msさんへの回答です

Msさんから、以下のようなご質問を受けました。 「師につかず、一人で修行しています。 瞑想している最中にイメージなどを見ます。 意味づけしたり、引きずられたりしないように 気を付けていますが、それでよろしいでしょうか?」 まず、Msさんがどこにお住…

是誰庵のひとやすみ~すべて世は事もなし

今日、ひと月に一度飲む、骨を強化するお薬を貰いに、 病院に行きました。 私「いつもの骨のお薬をお願いします」 受付嬢「目の薬・・・ですか?」 私「・・・(この病院に眼科はないはず。この受付嬢は何を馬鹿な事を)」(で、私は、ちょっとムカっとする…

是誰庵のひとやすみ~印可・印証は必要か?

我々仏道の修行をする者の内に、自分の指導者から「よし、それでこそ私の弟子だ」「私が印可・印証しよう」と言われるのを喜ぶ人が、一部において存在するようだ (中国禅宗慧能禅師の衣鉢伝承物語の影響か?)。 通常、禅の指導者は印可・印証はしない。 パ…

「身念処」1-74

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 身体の無常は、思慧で体験・会得できる。 しかし、心の無常は、(+身体より)更に微細なため、体験・会得しにくい。 姿勢を変える時、例えば、座っている色身から、立っている色身に変る時、我々は座っている色…

「身念処」1-73

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1)相続。身・心の生・滅は、かくの如く迅速なため、我々にはその生・滅の現象が見えない。故に、我々は身・心は連続しているのだと誤解してしまう。それはちょうど、銀幕上の映画の影像が、連続しているように…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」1-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 比丘が念ずる: Buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi. 受戒者は、この三帰依文を直接誦してしまうか、または比丘が一回誦した後、受戒者が後に続いて一回誦する。 Buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi. (私は仏に帰依します) Dhamma…

Pさんのコメントに答えて~仏教書翻訳者の心得

私のブログを読んで下さっているPさんから、以下のようなコメントを頂きました(コメント自体は、記憶を頼りに書いていますので、多少の誤差はご寛恕を)。 1)<「身念処」1-9>に、「涅槃は常、楽、無我である」という翻訳文が見られるが、私(Pさん)は…

「身念処」1-72

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-11 三法印を隠蔽する因縁法 三法印とは、身・心が無常・苦・無我であり続けている状態を指す。しかし、なぜ我々は、己自身の身・心において、三法印を体験することができないのであろうか? それは三法印が、あ…

「身念処」1-71

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 身・心は、vipassana修法の所縁である。それらは、受、心、法の三つの念処である。 受念処は、例えば:楽受、不楽受等; 心念処は、例えば:貪心、瞋心(=怒りの心)と痴心(=無知の心)等; 法念処は、例えば:…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」1-5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 三帰依 比丘が念ずる:Namo tassa、 その時、受戒者は直接、この礼敬詞を三回念じるか、または比丘が一句念じて、その後に、受戒者が一句念ずる。 比丘:Namo tassa Bhagavato, Arahato Sammāsambudhassa(3x) 彼…

是誰庵のひとやすみ~「此是道汝応修」(翻訳番外編)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> マレーシアから「此是道汝応修」という本が届きました。 著者はアチャン・チャーのお弟子さん、アチャン・タン。 その中にとてもよい問答を見つけましたので、翻訳(番外編)してお送りします。 問:アチャン・タ…

是誰庵のひとやすみ~仏書がウチにやってきた!

クリスマスにはまだ早いけれど、でもクリスマスまで、ちょうど一か月の本日、マレーシアから仏書(ダンマブック)が届きました! マレーシアでは、多くの華人の方々がテーラワーダを学び、実践していて、彼らが施本してくれたもの。 なので、ぜ~~んぶ中国…

是誰庵のひとやすみ~ラべリングは有効か

もう20年前かそれ以上前、日本にテーラワーダ旋風が吹き荒れました。 スリランカの某長老が、マハーシ瞑想法を紹介して、これまで禅宗の座禅で上手く行かなかった人、念仏は迷信みたいで嫌だという人たちの心を引き付けたのです。 では、マハーシ瞑想は何を…

是誰庵のひとやすみ~ vipassanā とは何か?

緬甸(ミャンマー)のパオ僧院の長パオ・セヤドーが教える、いわゆるパオ・メソッド(ご本人はこう言われるのを嫌っています)が、瞑想好きの人々に人気があるのは、 似相(nimittaの光)が見えるようになると vipassanā という名の、観照の修行ができるよう…

是誰庵のひとやすみ~一人ぼっちの仏教徒

今、私は「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」(原題「南伝仏教在家居士須知」)という、台湾のテーラワーダ比丘の著書の翻訳を始めました。 その最初の文章、いきなり<三帰依文>です。 仏教徒になって仏陀、ダンマ(仏法)、サンガに帰依し…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」1-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 前篇 帰依、受戒と持戒 第一章 帰依と受戒 一、五戒(Pāañchasīla) 三帰依五戒法の求受 Ahaṃ, ahaṃ bhamte, tisaraṇena saha pañcasīlaṃ dhammaṃ yācāmi, anuggahaṃ katvā sīlaṃ detha me, bante. 尊者、私は三…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」 1‐3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ここにおいて特に注意して頂きたいのは; 我々はゴータマ仏陀の制定した戒律について検討しているだけであって、持戒をしない人たちを批判している訳ではありません。 在家信徒は、この書を通して、一方で、出家…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」1-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 本書の前篇は<帰依、受戒と持戒>で、それは四つの章に分かれています: 第一章は「帰依と受戒」すなわち、帰依、五戒、布薩八戒、布薩九戒と在家の10戒の、受戒における順序を述べたものです。 第二章は「三帰…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」1-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <編集と翻訳についての序説> 台湾の南伝仏教(=テーラワーダ仏教、以下同様)は、未だ開墾を待たれる、未開発の荒野のようである! 多くの、テーラワーダ仏教を学びたいと思っていながら、何から始めていいの…

「テーラワーダ在家居士帰依戒律ハンドブック」   翻訳始めます

11月2日の<マハーカルナー法友会>解散事件から21日、今日で、3週間たちました。 日本全体を揺るがす大事件とは言えませんが、テーラワーダを学ぶ方々には、大変に大きな衝撃でした。 私もパオ僧院出身の sayalay として、マハーカルナー禅師への質問状を書…

「身念処」1-70

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-10 色と心 宇宙の一つひとつの出来事は、みな色法または心法であるか、または五蘊である。色心の二法は実相である。色法は通常、物質または質量が凝縮した形体、と定義される。 そして、心は、心王、心所と涅槃…

「身念処」1-69

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 禅定の修法は、善法であるが、しかし尚、生死輪廻の中にある。 この種の修法は、仏陀の以前からすでに存在していた。 Vipassana の修法もまた善法であるが、しかし、その修法は、生死輪廻から出ることが出来、ま…