<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
1-10 色と心
宇宙の一つひとつの出来事は、みな色法または心法であるか、または五蘊である。色心の二法は実相である。色法は通常、物質または質量が凝縮した形体、と定義される。
そして、心は、心王、心所と涅槃と言う風に定義することができる。
色法はまた、心法以外の、冷熱によって壊相の生じる法である、と定義することもできる。
心法は能知(=知る事の出来る主体)で、色法は所知(=知られる側の客体)(但し心はまた心を知ることができるーーということは、心は一個の所縁となることができるか、または所知になることができる。たとえば、「心が見ている」「心が聞いている」)等々。修行に関して言えば、身体は一個の演者と見做すことができ、心を観衆でると見做すことができる。
現代の科学技術で言えば、身体はロボットのようで、心は電脳・コンピュータのようなもので:心は身体に命じて、己のしたいことをさせることができる。
(1-71につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>