南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧

般若の独り言~禅相(nimitta)見聞記

20年前、私は、パオ・セヤドーの著書『智慧之光』(中国語版)を日本語に翻訳して、WEB上に公開した後、パオ・セヤドーの助言に従って、パオ本山(緬甸・モーラミャイン)でパオ・メソッドの修行に、二年間ほど取り組みました。 勿論、パオ・メソッドですか…

『涅槃証悟の唯一の道』★パオ・セヤドー著(6-5)重要必読

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 轆轤師の譬え 比丘の長息と短息への了知を表現するために、仏陀は轆轤師(bhamakāro)の譬えを用いている: 【比丘たちよ。 熟練した轆轤師または轆轤師の弟子の様に、長く回す時は ’私は長く回している’ と了知…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(6-4)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 第二節 長短息 長息と短息 【(1)入息が長い時、’私の入息は長い。’と了知する: 出息が長い時、’私の出息は長い。’ と了知する: (2)入息が短い時、’私の入息は短い。’ と了知する: 出息が短い時、’私の出…

般若の独り言~アナパナ修習の問題点(禅病について)

本日、『涅槃証悟の唯一の道』の<No. 6-3>を翻訳しました。 そこには「アナパナ・サティを修習する時の注意点」が 四項目書かれています。 アナパナを修習される方は、必読です。 私は 20年前に、緬甸のモーラミャインにあるパオ本山で修行をしていた時に…

『涅槃証悟の唯一の道』★パオ・セヤドー著(6-3) 重要必読

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> この方法で修行する時、ある種の禅修行者は、いくつかの問題に遭遇する。 その代表的なものは、以下の四種類である: 1)目で呼吸を観ずる: 目で呼吸をみてはならない!もし、あなたがその様にするならば、目が…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(6-2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> これが入出息(ānāpānassati)であるーーすなわち、ジャーナ(jhāna)を証得する為に行う禅の修行の業処として、呼吸(ānāpāna)を所縁に取る(+修行方法の)事である。 禅修行を行う始め、あなたはリラックスし…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(6-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 第四章 止業処 第一節 入出息 彼はただ入息をのみ念ずる、 彼はただ出息をのみ念ずる 《大念処経・入出息念の部分》において、仏陀は比丘を指導するにおいて、修行者は、どこへ行って禅の修行をするのか、どの様…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(5-2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 仏陀の教えに基づけば、四種類の随観すべては、五取蘊を遍知する為の、唯一の道であり、それはまた、五取蘊の生起の因を断じ除く唯一の道でもあり、また五取蘊の滅尽を証悟する為の唯一の道であり、五取蘊の滅尽…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(5-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 第三章 総論 今、我々は《大念処経・入出息念の部分》の教えに基づいて、簡単にその意味と段階を追って修行する順序について解説した。 <序論>の部分において、我々はすでに、涅槃を証悟するために必要とされる…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(4-3)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (原文P 55/160) 観業処 観業処の第一段階 【[1.1]斯くの如くに、あるいは内(ajjhattaṃ)の身随観身において住する。 [1.2]あるいは外(bahiddhā)の身随観身において住する。 [1.3]あるいは内外(ajjha…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(4-2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 【(1)入息が長い時、’私は入息が長い’ (dīghaṃ assasāmi) と了知する。 出息が長い時、’私は出息が長い’ (dīghaṃ passasāmi) と了知する。 (2)入息が短い時、’私は入息が短い’ (rassaṃ assasāmi)と了…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(4-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 第二章 大念処経 (入出息念の部分) 総論 【比丘たちよ。 これは唯一の道である。有情を清浄し、愁、悲を超越し、苦、憂を滅し除き、如理に得達し、涅槃を現証する。これすなわち、四念処である(cattaāro satip…

般若の独り言~悪女の深情け

<悪女の深情け>という言葉があります。 情けの篤い女性が、一生懸命相手につくすけれども、一旦関係が悪くなると、悪女に変身。相手を虐め始める・・・場合によっては殺人なんて事も(タイでの殺人事件は、このパターンが多いです。タイ人は情熱的で、また…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-77)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (原文P 50) <注37>《大念処経》の義註は、その前にある《沙珈問經》(Sakkapañha Sutta)の義註に関して、以下の様に言及している。 沙珈天帝(=帝釈天)が、仏陀に比丘の禅修に関して、各種の疑問を質問す…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-76)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <注35>《大念処経》の義註では、身体の快楽を了知した時の事に関して以下の様に言う: 仰向けに寝た嬰児が母親の母乳を飲むとき快楽を体験するし、また ”私は快楽の感受を体験している” 事を知っているのである…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-75)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 結論 上述の論考は、序論に過ぎない。 故に、我々は、なぜ、心随観と法随観の修習においても、五蘊のすべて、四念処のすべて、及びその生・滅(正順と逆順の縁起)を観照しなければならないのか、という事をこれ…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-74)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 今、我々は、受随観に関して、再び重複して解説する必要はないが、しかし、我々は、念処として受を随観する時、六内処と六外処のすべてを観照しなければならない、という事を言わねばならない。 どの様な状況であ…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-73)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 仏陀は、ある經の中のおいて、六種類の受の生起とは、すなわち、六種類の触の為であると、述べており、また別の経においては、六種類の触の生起は、六内処(眼、耳、鼻など)及び、それに相応する所の、六外処(…

般若の独り言~克己

若い頃に読んだ仏典に『戦争に勝つより、己自身に勝つ方が大事である』と、書いてあった様に思います。 一言で言えば<克己>ですね。 これが凡夫には、なかなか難しい。 昨日、人と待ち合わせをした所、先方が遅刻しました。 私はちょっとイライラしたので…

『涅槃証悟の唯一の道』★パオ・セヤドー著(3-72)重要必読

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (原文P50) 触の生起によって、感受が生起する。 触とは何か? 仏陀はかつて、何度も解説して言う。 例えば、前に引用した《中部・六六經》の中において、仏陀は、六触身(cha phassakāyā veditabbā)を了知する…

『涅槃証悟の唯一の道』★パオ・セヤドー著(3-71)重要必読

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ”この様な 知っている は、有情の見解を捨断できないだけでなく(sattūpaladdhiṃ na jahati)、有情の想も、断じ除くことができないし(attasaññaṃ na uggahāṭehi)、業処の修習でも、念処の修習でもない(kammaṭ…

『涅槃証悟の唯一の道』★パオ・セヤドー著(3-70)重要必読

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 唯一の道(観業処ーー受随観) 【比丘たちよ。 ここにおいて、 1)比丘が楽受を感じる時 (sukhaṃ vā vedanaṃ)、 ’私は楽受を感じる’ と了知する (sukhaṃ vedanaṃ vedayāmī’ti)。 2)苦受を感受する時 (dukkh…

『涅槃証悟の唯一の道』★パオ・セヤドー著(3-39)重要必読

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 身随観身において(過去因) 我々はここまでにおいて、ただ、現在因によって生じる所の、色法の生起とその壊滅について、語っただけである。 が、しかし、ある種の色法は、過去因によって生じ、かつ、過去因の滅…

『涅槃証悟の唯一の道』★パオ・セヤドー著(3-68)重要必読

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> しかし、ただこの様に了知するだけでは、未だ足りないのである。 彼は、何が色法をして、異なる場所において生起せしむるのかを、了知する必要がある。 彼は ”歩く”色法 という事柄の因を、了知しなければならな…

『涅槃証悟の唯一の道』★パオ・セヤドー著(3-67)重要必読

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (原文P45) 身随観身において(現在因) 上に述べた如くに、色法には三種類の現在因がある: 現在の心、現在の時節と、現在の食素である。 ただ、現在の時節と食素自身だけが、色法な故に、現在の心を因として生…

『涅槃証悟の唯一の道』★パオ・セヤドー著(3-66)重要必読

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <注32> 仏陀は、《中部・Vekhanasa Sutta》の中において、以下の様に述べる: ”珈宅那よ。もしあれらの沙門、婆羅門、前際を知らず(ajānantā pubbataṃ)、後際を見ないのに(apassantā aparantaṃ)、己自ら ’…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-65)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 身随観身において(内と外) 仏陀はまた、禅修行者は、内(ajjhattaṃ)身と外(bahiddhā)身を随観しなければならない、と言っている。これは五蘊の11種類の形式の二種類の事である。 (+修行者は)仏陀が前に述…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-64)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 身随観身において こうしたことから、仏陀は《大念処経》の中において、vipassanā の身随観身を教え、教導している。 彼は ”身随観身において”(kāye kāyānupassī)と言い、かつ、身の身と言う意味は、色身(rūpa…

般若の独り言~【般若の智慧のなかりせば】翻訳終了です

本日、スポット翻訳【般若の智慧のなかりせば】の翻訳が終了しました。 ランダムに拾い読みしながら、気に入った箇所を翻訳して行ったのですが、最後は<慈心の章>で終わりました。 著者は、「智慧のない慈心はありえない」というスタンスです。 私自身も、…

スポット翻訳【般若の智慧のなかりせば】(M-2)  最終回

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (原文P 225) 禅修行者: 私は、自分が苦しい時、慈心の修習をします。 私は、他人に対して慈心が生じ得ない、という体験をしたことがあります。その時は、己自身に対して慈心を修します。そうすれば、心は更に…