<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
仏陀は、ある經の中のおいて、六種類の受の生起とは、すなわち、六種類の触の為であると、述べており、また別の経においては、六種類の触の生起は、六内処(眼、耳、鼻など)及び、それに相応する所の、六外処(色、音、香等)と六種類の識(眼識、耳識、鼻識等)の結合が原因である、と述べている。
我々が、観の修習について語る時、一時に一種類の法しか観照することができない事は当然であり、それは以前、身体の苦受の観照を例に、すでに説明した事がある。
禅修行者が、この種の感受を観照しようとする時、その全体の過程を、観照しなければならない:
”身と触の縁によりて
(kāyañca paṭicca phoṭṭhabbe ca)
身識が生じ
(uppajjati kāyaviññānaṃ)、
三者が結合して触となり、触が生じるが故に生が生じる
(phassanmudayā vrdanāsamudayo)。
触が滅するが故に受が滅する
(phassanirodhā vedanānirodho)”。
(3-74につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。
<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」)
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>