2021-09-01から1ヶ月間の記事一覧
禅修行者が四大分別観を修行するという事、それは、身体の地、水、火、風等を観じるものであるが、定力が向上した時、身体は氷の塊の様な状況を呈する様になる。 次に、この透明な氷の塊の中において、空間(ちょうど、我々の皮膚に毛孔があったり、空間があ…
今、我々は、身体の色聚を見てみようと思う。 身体は、千々万々粒の色聚によって構成されている。 色聚の中には、色々な色彩がある。 例えば、尿は、黄色の色聚によって構成されていて、歯は白色の色聚によって構成されており、これらの色聚は、不断に生・滅…
若い頃、大乗の仏教書を読んでいて、「無学」という言葉に出会いました。 当時の私は、 「仏教とは何だろうか?」 「仏教を知るために、これから先、どれほど勉強しなければならないか?」 という疑問で胸が一杯でしたから、仏教書に 「仏教徒は無学たれ」 …
《アビダンマ論》 が言及・解説する所のものは、すべて究極諦である。 究極諦とは、それぞれの自性(sabhava)によって存在する法の事で、これらの法は、最終的に存在していながら、更にこれ以上は、分解できない単位のものを言う。 それら各自の自性によっ…
世俗諦とは、いまだ分析(分解)を受けていない所の、種々の現象の事である。 (この事は)世間的(世俗的)な科学をもって、比喩にする事ができる。 以前の科学では、世間の一切の事物は、原子によって構成されていると考え、原子が最も小さい微粒子である…
去る6月25日、間質性肺炎で、動物病院にて入院治療(主に酸素吸入)していましたオハナが、虹の橋を渡りました(享年15歳。ブログ既出)。 オハナ(ペキニーズ、雄)は、5歳(推定)の時に山の中に捨てられて放浪していたのを、登山者が見つけ、愛護センター…
二種類の諦:世俗諦と究極諦 《アビダンマ論》 の中で、世間において、二種類の諦がある、と言及されている: 世俗諦と究極諦である。 世俗諦は、世俗的な概念または観念を言い、我々の世間において、いまだ分析されていない所の、種々の現象、例えば有情、…
■我執、我見の除去 《アビダンマ論》 の中において、仏陀は名色法のすべての密集、例えば相続密集、構成密集、作用密集等々を、一々分解した。 あなたが心路過程を研究する時、ひとつとして、「我(私)」「私のもの」と称する事のできるものを見つける事が…
■観智の育成 《アビダンマ論》 の最終的な意義、すなわち、我々が最終的に到達せんとする目標は、すなわち観智の育成、輪廻からの解脱、四聖諦の徹底的見(己自身で実見する事)、である。 我々が「毘婆舎那」(vipassana<ママ>。以下同様)を修する時の目…
■善悪、是非、正邪を明確にする為に もしかすると、あなた方は、こう言うかも知れない: 「私は何が悪で、何が善であるかを知っている。」 しかし、一般の人々が知っている善悪は、実際には、非常に粗雑・粗略なものである。 例えば、あなた方は、善とは、他…
ダライラマ(猊下)は、カリフォルニア州において、一群の科学者を組織して、心・心識とは何であるか?を研究した。 科学者たちは、一個の測定器を禅修行者の頭部にかぶせ、禅修行者が深い禅の境地に入った時の、彼らの心識の働きを観察した。 しかし、2500…
仏法において、:「万法は、因と縁によって生起し、因と縁によって滅する」と考える。もし、因と縁がいまだ存在するならば、たとえ、色聚が滅したとしても、必ずや、再度生起する。科学者が保持する、「エネルギー不滅の法則」(Energy cannot be destroyed…
私はほぼ毎日、某温泉施設に出かけて水中運動をします。 だいたいは、空いている 13時ごろに行きますが、それでも人に逢う事はあります。 ある日、女性の更衣室にての会話。 Aさん:「なんだか毎日うっとうしいわ」 私:「どうしました?」 A:「心配事があ…
クオークとはすなわち、仏法で言う所の、色聚の事である。アメリカの科学者は、不断にこの色聚を研究するし、また、確かに、色聚の生・滅を見るのではあるが、しかし、色聚の中にある究極法を透視する事がない。色聚は、一つの世俗諦にしか過ぎない。ただの…
P24 縁生縁滅法を透視する 世間において最も先進的なものは科学である。 科学は言う: 「一切の万物は、原子の微粒子より構成される。」 この事から、科学の研究対象は、ただ物質に関してのみ、である事がわかる。 最も新しい研究は、以下の様に指摘する: …
系統的(統合的)に仏陀の教法を理解する 経蔵は仏陀による、契人契機的な教法である。 仏陀は、衆生の根器(性格・器量)に基づいて、色々ある教法の内の、その一つを選んで指導し、それをもって、道を明らかにする方便とした。 信根の強い者には、布施を教…
同様に、仏陀の智慧は、唯一、<発趣論>に到達した時初めて、充分に発揮する事ができた。智慧が充分に発揮された為に、六本の光芒が、放たれる事となった。 この種の光芒は、智慧の光と言い、それぞれ藍色、金色、赤、白、オレンジ及び銀色であって、それは…
仏陀は成道の後の第四番目の週から 《アビダンマ論》 を考察し始めた。 彼は、第一部の<法集論>から始めて、順序よく、第七部の<発趣論>(<事論>は含まず) までを考察した。 彼が一たび<発趣論>を考察し始めると、彼の全身において、六本の光芒が射…
《アビダンマ論》は、合計7部ある: 1、<法聚論>(Dhammasanghani) 2、<分別論>(Vibhanga) 3、<界論>(Dhātukathā) 4、<人施設論>(Puggalapannatti) 5、<事論>(Kathāvatth):この論は、仏陀の金口ではない。目犍連子帝須阿羅漢尊者が、第…
P22 《アビダンマ論》概論 《アビダンマ論》を学習する目的 我々は、これより 《アビダンマ論》 の意義を講評する。 《アビダンマ論》 のパーリ語は 「Abhidhamma」 であり、二つの字から成っている: 「abhi」は、上等の、殊勝な、卓越した、と言う意味であ…
仏陀が、33天において、連続して三か月、《アビダンマ論》 を開示した時、色身はなお、食べ物の滋養を必要としていたので、化身は天上において、《アビダンマ論》を開示し、本身は、人間世界に来て托鉢した。托鉢の後、シャーリプトラ尊者が、法を聞きに来た…
なぜ、仏陀は、人間界ではなく、天界において、天神たちに 《アビダンマ論》 を開示する事にしたのか? その内の一つの理由は、仏陀は、一柱の座禅の内に、《アビダンマ論》 を、すべて完全に話し終える必要があった為である。 一柱の座禅の内に、《アビダン…
9月13日付ブログ 『近況報告と翻訳再開』 へのコメントを頂き、ありがとうございます (当該ブログ下部に公開済み)。 これまでの、仏教書の翻訳、また今回の翻訳再開を、喜んで頂いて、自分の努力が報われた様で、大変に嬉しく思います。 翻訳の作業自体は…
上座部仏教の正統的な伝統の中においては、《アビダンマ論》は、仏陀が教導したものであると認められている。世尊は、33天において、一万個の輪囲世界からやって来た諸々の天(神)に対して 《アビダンマ論》 を開示したものである(と考えられている)。 《…
一回目の結集の時には、律と法の二種類しかなかった。 三回目の結集の結果、ようやく、律と法は、三蔵経典として、分類される事となった。 我々のこの法話の題目である 《アビダンマ論》 は、論蔵に属する。 論蔵のパーリ語は、Abhidhamma‐Tipiṭaka と言う。…
P20 《実用アビダンマ》 はじめに 仏陀の教法は、三蔵(三つの蔵)に分類することができる。 1.《律蔵》:世尊が諸々の弟子の為に設施(paññatti。設定)した戒律教誡と生活関連の規則。 2.《経蔵》:世尊及び声聞聖弟子たち、例えば、シャーリプトラ尊者、…
皆様、おはようございます。 コロナは一進一退、今後は withコロナ でいくのでしょうか?( 0コロナ は難しそうですね) 罹患初期に飲み薬があり、中等症になったら、入院できる、というのが理想ですが・・・ 政治の事はよく分かりませんが、自分の行く道を…