2016-11-01から1ヶ月間の記事一覧
菩薩は答える: 「国王。彼女は、己の美貌を過度に自慢して、そのために生活が放逸で、善い事をしませんでした。ゆえに、彼女は、現在、この公園の中で一匹の糞虫(=糞の中の蛆)になっています。 「そんなことは信じられない!」国王は言う。 「それでは、…
当時、菩薩はヒマラヤの麓に住む、一人の沙門であった。 彼は、五神通と八定を擁していた。 ある日、彼は天眼通で、インドを観察した所、アッサカ王が悲泣しているのが見えたので、即刻、彼を助けてあげようと決心した。 彼は神通を利用して天空に飛びあがり…
5-2-1 アッサカ本生経 昔、名をアッサカ(Assaka)という国王が、カーシ国の波達里という町に住んでいて、公正公平に己の国を治めていた。 彼の皇后ウッバリ(Ubbari)は、彼の非常に愛する女性であった。彼女は非常に美しく、仙女の美しさには及ばないもの…
(3-8) 前の一刹那はすでに滅しさって、現在の刹那は壊滅している最中で、未来の刹那もまた必ず、壊滅するであろう。 これが ”無常” である。 世間の万物は皆、無常であり、それらは生・滅の脅威にさらされている為、 ”苦” (dukkha)と言う。 世間の万物は、…
第三節 生命の本質 仏教では、世間における万物の生起と存在は、皆、各種各様の条件に依存している、と言い、 これらは、”因・縁”と呼ばれる。 多くの縁によって組成された事物と現象は、”縁生法” ”行法” または ”世間法” と呼ばれるが、人間の命もまた例外…
名色法は、我々が住んでいるこの世界の、すべての物質的現象と心理現象を含んでいるが、ある時には、特別に、心身の現象を指す事が有る。 五蘊は、また名色法とも言い、物質的な身体と、各種の心理現象を含むものである。 こうして、いわゆる生命が構成され…
名法は、また二種類に分類することができるーー心と心所である。 心(citta)ーー目標を認識する心理的活動。 心所(cetasika)ーー心に随伴して、同時に生起し、かつ、心を助けて、全面的に目標を知ることができるようにする各種の心理作用。 たとえば、感…
一切の不善業と、生まれ変わりを齎す善業は、すべて集諦である。 それではなぜ、仏陀は、当該の経文において、ただ貪愛だけを集諦である、と述べたのか? それはたとえて言えば、一粒の種の中に、いまだ水分が含まれているか、または(+エネルギーが)潜在…
5-2、苦集聖諦 経文は、第二項の聖諦を、以下のように解説する: 「比丘たちよ。これが苦集聖諦である; それは生まれ変わりを齎す貪愛であり、四方に愛楽を探し求めるが、それはすなわち、欲愛、有愛及び非有愛である。 比丘たちよ。これが苦集聖諦である。…
では、なぜ、物質的な現象を”色”と言うのか? 色、パーリ語で rūpa 、その語彙は、動詞のruppati から来ている。 その意味は、変質、破壊、圧迫、逼迫である。 故に、仏陀は言う:変質するが故に色と言う。 また、一切の物質は変質する本質を持つが、これを…
私は、子供の時から仏教が好きでしたが、 日本の大乗仏教界の現状に疑問を持ち、 30歳過ぎた頃から、タイや緬甸(ビルマ、 ミャンマー)に行って、テラワーダ仏教 (南伝仏教)を学びました。 その過程で、「(人の心を解放へ向かわせる) 仏教ってやっぱり…
第二節 生命の構成 生命・・・、仏陀の教法の中において、非常に重要な課題となっている。 仏教は、生命の構成について分析し、生命の真相について認識し、生命の本質を研究するが、その最終的な目標は、生命の諸々の苦から解脱する為である。 仏教は、生命…
五取蘊とは何か? それはすなわち、色取蘊、受取蘊、想取蘊、行取蘊及び識取蘊である。 色取蘊とは何か? 《蘊品相応・蘊経》(Khandhā Sutta、 Khandha Vagga Saṁyutta)の中で、仏陀は開示し言う: ’Yam kiñci rūpaṁ atītānāgatapaccuppanṇāṁ ajjhattaṁ vā…
比丘たちよ。 求不得苦(=求めても得られない苦)とは何か? 比丘たちよ。 生を受ける衆生が、内心においてこのように願望する: 『どうか私は、生を受けませんように、どうか私は生まれ変わりませんように!』。 が、しかし、このことは願望だけによって達…
仏教には、非常に重要な禅の修行論があるが、その名を《清浄道論》(visuddhi‐mgga)という。 当該の論では、以下のように解説する: 苦、パーリ語ではdukkha、du(下劣な)+kha(空無な、空虚な、空っぽな)から、構成されている。 というのも、生命は、お…
《法句(+経)》第165偈で、以下のように言う: ”悪をなすのは、真に己自身による、 汚れることもまた、己自身による。 己自身のみが、悪を為さず、 己自身によってのみ、清浄が得られる。 清浄不清浄は、己自身により、 他人を清められるというような、 そ…
「怨憎・会、愛・別離、求・不得」は、有貪の苦(sarāga-dukkha)という。それは、執着によって生じる苦であるから、とする。 仏陀は《大念処経》の中で、このように説明している: 「比丘たちよ。 怨憎会とは何か? ここにおいて、どのような人であっても、…
(+前篇「4-8」で述べた)この種の苦以外に、別の経の中で、仏陀は、また別の五種類の苦について語っている。 それはすなわち、愁、悲、苦、憂、悩である。 仏陀は《大念処経》の中で、以下のように解説している: 「比丘たちよ。 愁とは何か? いついかな…
5、四聖諦 5-1、苦聖諦 仏陀は言う: 「比丘たちよ。 これは苦聖諦である: 生は苦である、老いは苦である、死は苦である、怨憎会は苦である、愛別離は苦である、求めて得られずは苦である。簡単に言えば、五取蘊は、苦である。」 生、老、病、死は、世俗諦…
ここでもう一つ物語りを紹介したい。 仏陀御在世の時、名前をヴァッカリ(Vakkali)という青年がいた。ある日、彼は、町で仏陀に出会い、仏陀の英俊な風貌と、荘厳なたたずまいに深く引き込まれた。 常に仏陀を見ていたいが為に、彼は出家して比丘になった。…
4-2 八聖道分 仏陀は《転法輪経》の中で、引き続き、以下のように言う: 「比丘たちよ。徹見を引き起こし、真知を引き起こし、寂静、勝智、正覚、涅槃へと向かう中道とは、何か? それは八聖道分であり、すなわち、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、…
摩嗄藍は再び問うた: ”一人一人の弟子は、そのように指導された後、修行の最終目標ーー涅槃を証悟する事はできますか?” 世尊は答える: ”ただ一部分の人だけが、修行の最終目標ーー涅槃を証悟することができます。ある種の人々はできません” 摩嗄藍は不思…
今朝、二男のフェースブックを見ていると、誰かさんのフェースブックに繋がりました(こういう仕組み、PC音痴のわたくし、実は、余りよく分かっていないのですが)。 その誰かさんの記事がなかなか面白かったので、簡単にご紹介。 それは今はやりの、マイ…
我が家には私と、白毛のペキニーズのオハナ(オス)がいます。以前、インコも飼っていましたが、私の不注意で、オハナにかまれて、死んでしまいました(籠の扉を自分で開けて、トコトコ出てきていたのに気が付かなかった)。 そんな中、我が家に鳩ちゃんがや…
今年の夏、クムダ・サヤドーの、熱海での リトリートが終わった後、私は『無我』 (ブッダダーサ尊者著)という本の翻訳に 取り掛かりました(現在<菩提樹文庫>で 公開済み)。 その理由は、我々仏教徒は、仏教徒にとって 最も重要な問いかけ、「私とは誰…
先ほど、インターネットの記事を読んでいましたら、現代の若者(老人も含むのでしょうが)は、貧困と老後の事が心配なのだ、とありました。 貧困、これは、現行の社会体制が悪いでしょうか。 ようやく就職できたとしても、ブラック企業が多く、サービス残業…
4-1、軛孔経 ここで、私は《相応部・軛孔経》(Saṁyutta Nikāya、Chiggaḷayuga Sutta)の中の経文を一部分引用して、四聖諦の重要性を説明したいと思う。 この経の中で、仏陀は言う: 「比丘たちよ。もし、ある人が、真ん中に穴の開いた軛を大海の中に放り込…
4、中道 仏陀は続けて言います: 「この二種類の極端を避けて、如来は中道を実践する。この中道は、徹見(=徹底的な知見)、真知(=真実なる知見)を引き起こし、寂静、勝智、正覚、涅槃へと向かう」 「中道」と呼ばれるのは、それが、二種類の極端な行為…
名を《算術師摩嗄藍経》という経文がある: ある日、姓を摩嗄藍という算術師(数学の教師)が、世尊を訪ねてきた。 お互いにあいさつを交わした後、算術師摩嗄藍は世尊に問うた: ”友、ガウタマよ。この殿堂を建設する時、一層の上にまた一層と建てていかね…
3、二種類の極端 二種類の極端な行為について、仏陀はこう 述べている: 「一種類は、感官の享楽に迷い、沈潜する事で、これは低俗な、粗野な、凡夫の、非神聖な、利益のない行為である;もう一つは、己を苛む苦行で、これは苦痛で、非神聖で、利益のない行…