2017-01-01から1年間の記事一覧
昨日、台湾からたくさんの仏法書が届きました。 パオ・セヤドー(緬甸)、聖法大長老(スリランカ)、 達摩悟陀長老(マレーシア)など等、主にテラワーダのものです。 タイ僧皇 Chao Krom Phraya Vijirañāṇavarorasa の『戒律綱要(Vinayamukha)』もありま…
世の中に、<悟った僧は、何をしても許される>という 一種の誤解が、広まっているようです。 これは特に密教で言われ、また大乗でも言われます。 密教の場合、20年前に事件を起こした、オ〇ム真理教の主張などがそうでしょう。 大乗(中国)では、悟った…
日本で、南伝仏教(テラワーダ)の僧侶方にお会いするのは、よほどの機会に恵まれないと(自分から積極的に情報の収集をしない限り)、結構難しいですね。 たまにお会いできた時、何がしかのお布施をしたいとか、何か品物をお渡ししたいと思っても、戒律に触…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> もし、一人の施主が、いくらかの資金でもって、一人の南伝の戒を受ける出家者に ”四種類の資具として” 供養をしたいと思った時、またはその他の如法な必需品と同価値なものを供養したと思った時、出家者が戒を犯…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 上座部南伝仏教の伝統の、法と律の下で出家した修行者は、如法に供養された必需品しか受け取ることができない。 どのような形式であっても、金銭、例えば、現金、小切手、クレジット・カード、キャッシュ・カード…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 出家者が適切な時期に、適切な必需品を手に入れた時、護法の居士もまた非常に殊勝な ”応時施” を成就する事ができる。 応時施は、布施する者に、適切な時期に適切な事柄にであう機会と、適切な果報を齎し、その為…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 南伝出家者護持指南 Meṇḍaka Kappati: ”比丘たちよ。 もし人々に信心があり、浄信があるならば、彼らは、金銭を浄人の手の中に置くであろう:『これによって尊師が許可する[品物]をお渡し下さい。』と。 比丘た…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> アビダンマを研究した事のある人、または観智を有する禅の修行者は皆、心内において、(+施主が)出家者を招待して、供養をしようという考えが浮かんだ時から始まって、その後に、色々と行動し、計画し、招待し…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 出家者が食事を済ますと、通常は、出家者は歯を磨いたりするので、施主は、お手洗いを優先的に出家者に使ってもらい、また、進んで、出家者の鉢や食器を洗うのがよい。 もし、その日は天気が良ければ、鉢を洗って…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 12、施主は、出家者に先に食事を始めてもらう。 施主は、出家者と同じテーブルについてはいけないし、出家者が食事をしている最中に、説法を要求してもならない。 静粛を保ち、出家者に安心して食事して頂く事…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 11、食べ物の供養が終了すると、出家者は施主のために、祝福文、護衛経、随喜と回向の功徳を念誦する。 この時、経験豊かな施主なら、清らかな水を満たした銀の水差し(=急須)を右手に持って、出家者が念誦す…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 10、出家者に果物、トマト、キュウリなどの生野菜を供養する時、その野菜・果物の種がいまだ成長する可能性のある場合、施主は出家者に<作浄(浄を為す)>のやり方を学ばねばならない。 その方法は、野菜・果…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 9、南伝仏教の比丘の戒律によると、歯ブラシと水(注1)以外の、すべての、口に入るものは、必ず授与される必要がある。 食事の準備が終わった後、施主は、施主自ら、すべての食べ物を、出家者に授与しなければ…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 6、出家者が厠に行く必要がある時、施主は以下のように言う: ”尊者/Bhante(方)、我が家にいる間、家の中のすべてのものは、随意に使用して下さい。厠でも、飲料水でも、どうぞご遠慮なく!” 出家者は、寺院…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 一般家庭におけるサンガ施 南伝の出家者は、早朝、衣を着用して、人々のいる場所に行って托鉢する以外、その日の朝、未だ誰かの要請を受けていないならば、出家者は、施主の要請を受けて、その人の家に行って、供…
私の親戚、台湾に住む叔父一家は、親と子全員が、クリスチャンです。 叔父は90歳近く、少し認知症で、伯母は車椅子の生活ですが、介護する従兄弟家族は争うことなく、和気あいあいと過ごしています。天国に近い者は、世俗の争いを上手にやり過ごすのかも知れ…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 付録2 サンガ護持編 ”世尊の弟子サンガは善行道者であり、世尊の弟子サンガは正直行道者であり、世尊の弟子サンガは如理行道者であり、世尊の弟子サンガは正当道行者である・・・すなわち、四双八輩であり、この…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 供養する前、供養している最中、供養した後、いつの時も、心の力を強く維持し、また、正念がなければならない。 妄想をやめ、唯一、この六種類の要素を思惟しながら、供養をする。 もし、一項(=一回)の供養に…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 次に、もし、施者が出家者に供養をする時、その心念を多少とも調整するならば、不可思議な”転乗”の作用に到達する事ができ、布施の善業によって、未来において熟する所の果報を、無限に高める事ができる。 それが…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 混合薬とは、異なる種類の薬を混ぜて、食用するものを言う。 混合した後の薬は、その中の最も期限の短いものを基準として、時間を計算する。 例えば、漢方薬の材料は、一般的には、終生薬に相当するが、しかし、…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 7日薬(sattāhakālika)とは、南伝の比丘が、7日以内なら、手元に保存してもよく、また食してもよい薬の事。 1、バター(navanita)。 2、ギー(sappi)。 3、油(tela)ーー植物性油と動物性油。 4、蜂蜜(m…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 非時果汁の製造方法は以下の通り: 沙弥または在家など、具足戒を受けていない人が、ジュースにしたい小さな果物を押しつぶして、その後に布でろ過し、残渣と分ける。 ろ過したジュースは湯冷ましで希釈した後、…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 付録1 南伝出家者托鉢への布施・供養について どのような時でも、どのような場所においても、南伝の袈裟を着た出家者が托鉢するのを見て、何か布施か供養をしたいと思った時、決して、現金を鉢の中にいれてはな…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 兜率天サンガから居士団体への提案 1、携帯を使って、偽比丘の情報を広報する。 2、実情を新聞に載せて、大衆を教育する。 3、この本の内容を、メールであちこちに転送する。 これは一種の ”つなひき”、戦いで…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 慙・愧がない、破戒をする真正の出家者が、熱い鉄の玉を飲まされたとしても、(+偽比丘が)人々の供養する食物を食べるよりは、まだましである、と(+仏陀は)言う。 我々は、一人の、袈裟を借用して、一滴の慙…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 仏陀は《増支部・七集・火蘊譬喩経》の中で、以下のような比喩を、述べた事がある。 「比丘たちよ。 私はあなた方に告げる。 一人の破戒した、悪性の、己の為した事柄を隠蔽する、非沙門でありながら、沙門である…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 後記 偽比丘が、マレーシアの社会において詐欺を行う事象には、すでに警鐘が鳴らされた。 民衆の幸福の為に、また、偽比丘への憐憫から、サンガは、この事に無関心ではいられないし、何事もなかったように、見て…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 在家の信徒衆は、出家の修行者に、衣服、飲料・食物、住居、医薬品などの、日常生活における必需品を供養・布施して、物質的な方面において、出家者を支援する。 そして、広大な信徒衆への謝恩として、仏陀は、出…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 正法の宣揚と、その後代までの伝承は、三つのレベルの事柄に依拠しなければならない: すなわち、 教理(pariyatti)、 修行(paṭipatti)、 体験・証悟(paṭivedha)である。 単に、教理によるだけでは、正法を…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 出家者の責務 「準陀。己自身が、すでに沼に落ち込んでいるというのに、その他の、沼に落ち込んでいる人を救えるなどという事は、決して無い! 準陀。己自身が、確実に沼に落ちていない時、その他の、沼に落ちた…