<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
付録2
サンガ護持編
”世尊の弟子サンガは善行道者であり、世尊の弟子サンガは正直行道者であり、世尊の弟子サンガは如理行道者であり、世尊の弟子サンガは正当道行者である・・・すなわち、四双八輩であり、この世尊の弟子サンガは、供養を受けるべきのものであり、供奉を受けるべきのものであり、布施を受けるべきものであり、合掌されるべきものであり、それは、世間における無上の福田である。”
この世間において、明眼となり、暗黒の中の松明となり、迷いの中(+にある人々)の道しるべとなり、耕耘する者の福田となり、真理を尋ねる者の行先、病む人の保護者となり、輪廻の旅人の帰依処としてーー清浄であり、和楽であるサンガが世間にある事は、特別に貴い。
仏教の三宝の一つであるサンガは、非常に神奇な伝統で、仏陀入滅後の2000年来、どれほど多くの凄惨な風と苦い雨の侵襲を受けたり、またサンガの構成員の変動と、その素質の良し悪しはあっても、仏陀の制定した伝統は、依然として今日にまで伝承される事になったーーちょうど長江のようにーー綿々と絶えることなく。
ただ真心より真理を尋ねる者がおり、己の生命を献じて、その伝統の構成員になりたいと望む人がいて、この伝統に依って(+法を)忠実に実践する人がいる限り、この古老の伝統は、あとの半分の道標に向かって、歩き続けることができる。
サンガに供養する事は、個人に供養するよりも、更に殊勝であるということは、サンガを護持するという事が結局、法脈が引き続き継承される所の伝統を、護持していることになるからである。
正法の世に住むことは、持戒が清浄なるサンガを必要としており、清浄に行道するサンガは、四双八輩を育成する大きな揺りかごであり、清浄で、操を守る大環境の下で、サンガ構成員の素質を自然に高め、素質のよいサンガ構成員は、また、在家信徒衆に対して、正しい仏教の教育を与えることができる。
サンガと信徒は相互に向上し、仏教社会全体を向上させることができる。
仏教社会全体の法における利益が、己自身の心内から湧き出る時、自然に、周囲の衆生に、法の呼びかける力を感応せしめて、(+衆生は)陸続と生命を昇華させ、それによって心内の修行と、外部への弘法の効果と利益を得ることができる。
この古老の伝統は、いまだ今日まで伝承し続けることができるのは、仏陀の法と律が、大きな二つの梁である事以外に、在家信徒衆もまた、大きな役割を果たしている。
持戒が清浄なサンガは、広大な信徒衆の護持から離れる事はできない。
お互いに唇歯相依であり、それは将に仏陀が《小部・如是語第107経》において、以下のように述べている:
”比丘たちよ。
諸々の婆羅門、居士があなた方に対して、多くの援助をしています。彼らは、あなた方に衣服、飲食、住まい、病人の必要とする医薬品などを供養しています。
あなた方は、諸々の婆羅門、居士に対しても、多くの援助をしています。というのも、あなた方は彼らに対して、初めも善く、中も善く、後ろも善い、有意義な、言葉の整った正法を述べて、完全な円満な、遍浄なる梵行を顕示しました。
比丘たちよ。
このように、お互いの相互の助け合いを通して初めて、諸々の流れを超越する方向への導き、苦辺を尽きる為の梵行は、ここにおいて、住し立する事ができるのです。”
(4‐8につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「偽比丘の見分け方」中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>