南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

FDC資料「37道品ハンドブック」10-7 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)

私は、例を挙げて説明する。

《学人行道経》の中で、仏陀は以下のように言う:

「戒蘊の成就によって聖者となれ!」

(《相応部》・大品・道相応第一・《学人経》第三)

この経文の意味は、37道品の中の活命戒の修行を通して、聖者の戒・定・慧を成就せよ、という事である。

故に、仏法において、いわゆる優婆塞、優婆夷とは、活命戒、三帰依の内において、持続的に、確乎として修行に取り組む事のできる人、その事によって、部分的にでも「妙行者」、「和敬行者」の特質を享受する者を言うのであり、そのような特質を持つが故に、「法随法行道智聖者」と呼ばれるのである。

これらの特質は、「サンガ」の文字と共に、挙げられているものである。

たとえば:

「私は僧(=サンガ)に帰依します。妙行者、世尊、声聞、僧伽(=サンガ)。」

とあるように。

我々が理解しなければならないのは、比丘、比丘尼だけが、持戒の善良な凡夫である、という事である。

毘那奈の中において、具足戒を受けたサンガ以外に、その他の人は、すなわち、沙弥、沙弥尼、式叉摩那、優婆塞、優婆夷である。

「法随法行道」(「37道品」とも)を修習する人、彼または彼女は、ただ、優婆塞、優婆夷の一人にしか過ぎないかも知れないが、しかし《経律》の論述において、「沙門」、「婆羅門」と呼ばれるのである。

故に、《法句経》では以下のように言う:

「厳身住寂静(身は厳しく寂静に住む)

 調御而克制(心を調御して、克己する)

 必然修梵行(梵行を修するは必然であり)

 不以刀杖等(刀・杖等を持って)

 加害諸有情(諸々の有情を害す事無くば)

 彼即婆羅門(彼はすなわち婆羅門であり)

 彼即是沙門(彼はすなわち沙門であり)

 彼即是比丘(彼はすなわち比丘である」

(《法句経》第142偈頌)

この経文は、「法随法行道」(「37道品」を修習する事)を修持して、心・身が清浄なる修行者は、たとえ凡夫の衣服を纏っていたとしても、比丘と称する事ができる(+という意味である)。

ここにおいて、我々は、仏法の継承者の神聖で崇高な地位についての、説明を終えた。

(10-8につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>