パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」10-29(343/430)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
素馨(Sumanā)
聞く所によると、毘婆尸仏の時代、彼女は、非常に裕福な家庭に生まれたが、しかし、彼女の父親が死んでしまった、という。
当時の人々は、確実な決意の下、国王に要求を出して後、ようやく、仏陀と10万人の比丘に供養する事を許可された。
(+ある時ある)将軍が、供養の一番初めの日に、仏陀と僧団に家に来て頂いて、彼らに布施する栄誉を獲得した。
素馨は外で遊んだ後、家に戻ってみると、母親が泣いていた。
彼女は母親になぜ泣くのかと聞くと、母親は答えた:
「もし、あなたの父親が在世ならば、仏陀と僧団を供養する栄誉は、我々が一番に得ていたに違いない。」
素馨は、母親を慰めながら言った:
「その栄誉は私たちのものよ。」
そして、彼女は、金色のお椀に美味しい乳粥を入れ、もう一つの碗で蓋をし、その二つの碗をジャスミンの花で包んで、従者と共に出かけた。
将軍の家に向かう時、彼女は将軍の部下に行く道を塞がれた;
しかし、彼女は好意的な話をして、彼女に道を譲る様に頼んだ。
仏陀が来た時、素馨は、ジャスミンの花輪を、仏陀に供養したいのだと言い、あの二つの、ジャスミンの花輪で包んだ、金色の碗を仏陀の鉢の中に入れた。
仏陀はその供養の品を受け取った後、それを在家居士に渡し、将軍の家に持って行く様に言った。
その時、素馨は、以下の様な願を立てた。
それは、人界と天界の布の上に、すべての特徴を持つ善き女性の形象である;
1、私の今後の一世毎の生活において、無憂無慮である事。
2、誰でもが、ジャスミンの花の様に、私を愛してくれる事。
3、私の名前を素馨と呼ぶこと。
仏陀は将軍の家に到着した後、彼らが正餐の前に、スープを仏陀に供養しようとした時、仏陀は手で鉢口を押さえ、すでに誰かが、乳粥を供養してあるのだ、と言った。
この時、素馨の金色の碗を持ってきた在家居士が、碗の中の乳粥を、仏陀に供養し、又逐一、比丘にも供養した。
彼は、この様に心を込めて、尊者各人に乳粥を配った為に、乳粥は、仏陀と10万人の比丘の食用に、充分に足りたのである。
この奇跡は、素馨の強固な、善を行いたいという意志から生まれたものである。
仏陀と僧団は、乳粥を食した後、将軍が豊富な、美食の食べ物を供養した。
食後、将軍が、誰が乳粥を供養したのかと訊ね、その答えを聞いて、素馨の勇気に深く感服して、彼女に家に来る様にと招待し、その後、彼女を妻として娶った。
その時から、彼女の一世毎の名前は、常に素馨であり、かつ、一世毎に、出生する時には、ジャスミンの花が散り落ちて来て、膝の高さにまでなるのであった。
最後の一世において、彼女は憍薩羅国王の娘として生まれた。
波斯匿王子の姉妹である。
彼女が七歳の時、彼女は、彼女と同じ日に生まれた女友達と共に、花瓶と花を持って、仏陀を供養した。
仏陀の開示を聞いた後、彼女は、ソータパナ果を証得した。
彼女は、仏陀の卓越した優婆夷弟子の中において、一番(+優秀)であった。
ある日、彼女と500人の皇族の少女が、500輌の皇家の馬車に乗って、仏陀に会いに行った時、彼女は仏陀に、布施の功徳に関しての質問をした。
仏陀の回答は、業果の多様化の問題に及んでいる為、我々は、以下の様な、簡単な解説をしたいと思う;
彼女は仏陀に問うた:
もし、信心(=確信)があり、戒行と智慧もまた同様に卓越している二人の弟子がいて、その中に一人はよく布施をし、もう一人は、布施をしないならば、彼らの間には、何か違いが生じるでしょうか?
仏陀は答えて言う:
彼らが、天界または人界に生まれ変るとして、かつて布施を行った、その人の寿命、容貌、安楽、栄誉と力量は、もう一人の人より、卓越することになる。
更に遠い来世にあっても、彼らが出家してサンガに加入する時も、彼らの間には差異が生じる。
この差異は、彼らが阿羅漢になって初めて、解消される。
というのも、二人の阿羅漢道智と阿羅漢果智は、全くの差異がないが故に。
これが、仏陀が彼女の質問に答えた回答である。
《長老尼偈》(Therīgāthā)に基づくと、素馨は老年期にようやく出家して比丘尼になった、というのも、彼女は自分の祖母の面倒を見る必要があったが故に、出家が遅れたのである。
彼女の祖母が亡くなって後、彼女は波斯匿王と共に祇園精舎にやって来て、毛布と絨毯をサンガに供養した。
仏陀は、彼らに開示した。
開示を聞いた後、彼女はアナーガミ果を証得した。
彼女は出家を願い出て、かつ、仏陀が偈頌を述べた後に阿羅漢果を証得した。
これらの物語を聞いた後、みなには以下の事を理解して頂きたい:
過去世において造(ナ)した所の業の差異によって、衆生には種々の差異が生じる;
そして、業の差異の根源は、無明、愛、取の差異である。
故に、無明、愛、取の多様化を根源として、業の多様化が起こる;
業の多様化は、すなわち、衆生の多様化を生じせしめる。
究極諦の立場から言えば、衆生とは五取蘊の事である。
総合すると、過去、未来、現在、内と外、粗いと微細、劣等と優秀、遠いと近いという11種類の五取蘊がある。
善くて巧みな画家は、美しい五取蘊を描く;
稚拙な画家は、醜悪な五取蘊を描く。
美しくても醜くても、劣等でも殊勝でも、それらは皆、無常(anicca)・苦(dukkha)・無我(anattā)である。
故に、仏陀は第二部の《皮帯束縛經》の中において、以下の様に開示する:
「比丘たちよ。
まさに一人の画家またはペンキ職人が、染料、膠、または郁金粉、藍、または茜草でもって、すでに磨き上げた平らな板、壁、または布の上に絵をすべての特徴を持つ男性または女性の形象を描く。
同様に、比丘たちよ。
法を聞いたことのない凡夫は、何かを造(ナ)す時、ただ色を成した、ただ受を成し、ただ想を成し、ただ行を成し、ただ識を成す。」
仏陀はまた続けて言う:
「あなた方はどの様に思うか?
比丘たちよ。
色は恒常であるか、無常であるか?」
「無常です、世尊。」
「当然無常である。ではそれは苦であるか、楽であるか?」
「苦です、世尊。」
「それらは無常で、苦で、変化して止まないものであるならば、それを『これ私のものである;これは私である;これは私の私である』
と見做すのは適切であるかどうか?」
「当然、不適切です、世尊。」
「受は恒常であるか、それとも無常であるか?・・・
相は恒常であるか、それとも無常であるか?・・・
行は恒常であるか、それとも無常でるか?・・・
識は恒常でるか、それとも無常であるか?・・・」
これらの問答の中において、我々は五取蘊はみな、無常・苦・無我であることを了知することができる。
それらを「私のもの」「私」または「私の私」と見做してはならない。
次に仏陀は観禅の方法を以下の様に指導する:
「故に、比丘たちよ。
一切の色に対して、過去のものであろうとも、現在の、未来の、内の、外の、粗いの、微細なもの、劣等なもの、殊勝なもの、遠い、近いに関わらず、みな、智慧でもって、それらを如実に
『これは私のものではない;
これは私ではない;
これは私の私ではない』
と見做さなければならないのである。
一切の受に対して・・・一切の想・・・一切の行・・・一切の識に対して、過去のものであろうとも、現在の、未来の、内の、外の、粗いの、微細なもの、劣等なもの、殊勝なもの、遠い、近いに関わらず、みな、智慧でもって、それらを如実に
『これは私のものではない;
これは私ではない;
これは私の私ではない』
と見做さなければならないのである。
比丘たちよ。この様な認識を具備した後、善学の聖弟子は、色に対して厭離し、受に対して厭離し、想に対して厭離し、行に対して厭離し、識に対して厭離する。
この様に厭離した後、彼は欲の汚染から遠く離れる。
欲の汚染から遠く離れた後、彼は解脱を得る。
解脱を得た後、以下の様に智慧が生じる:
『私はすでに解脱を得た』
そして彼は理解する:
『生は已に滅尽し、
梵行は已に立ち、
成すべきことは成し終えた、
後有を受けることがない』」
(10-30につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>