<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
13 三種類の観智
「彼は身の生起の現象の観照に安住し、身の壊滅の現象の観照に安住し、または身の生起と壊滅の現象の観照に安住する」
この經文においては、三種類の観智が含まれている、すなわち:
1、縁摂受智(paccaya-pariggahañāṇa):因果関係を観照する智慧。
2、思惟智(sammasanañāṇa):行法の無常・苦・無我の三相を観照する智慧。
3、生滅随観智(udayabbayañāṇa):行法の生滅を無常・苦・無我として観照する智慧。
行法の生滅には二種類ある、すなわち:
(一)因縁生・滅(paccayatoupadayabbaya);
(你)刹那生・滅(khaṇato udayabhaya)。
因縁生・滅はまた、二つの部分に分けることができる、すなわち、因縁の生と因縁の滅である。
因縁が生起するが故に、五取蘊が生起する、これは因縁の生である。
因縁が無余に滅尽するが故に、五蘊が無余に滅尽する、これは因縁の滅である。
五蘊と名色は同義語である。28種類の色法は、色蘊であり、色蘊である。
名法の中の受は受蘊、想は想蘊、50種類の心所は、行蘊であり、六種類の識は識蘊である。
色蘊は色法であって、受蘊、想蘊、行蘊と識蘊は名法であるが故に、五蘊とは名色である。
これは《大念処経》の中で、仏陀が教える観禅の第二段階である。
たは順序に従って、漸進するべきであって、飛び級することはできない。
再度、先に第一段階を修習する必要がある事に注意を払って頂きたい。
すなわち
(一)内外の色法を観照する。
(二)内外の名法を観照する。
(三)内外の名色法を観照する。
(四)内外の名色法には、人、我、衆生などはないと識別する。
この様に観照した後初めて、第二段階の修習に進むことができる。
13.1 縁起の法則
名色法の因縁生をどの様にして観照するのか?
内外の名色法を観照した後、あなたの今に最も近い所の、過去の名色法を観照しなければならない、たとえば、座禅・瞑想を始める前の名色法である。
座禅・瞑想の前、あなたは、蝋燭または水でもって、仏陀に供養することができる。その後来世は比丘になりたいと発願する。
座禅・瞑想を始める時、仏陀への供養と、比丘になりたいと発願した時の心路過程を識別しなければならない。
これらは最も近い名法である。
それらは、業輪転(kammavaṭṭa)と煩悩輪転(kilesavaṭṭa)である。
それらはその識別方法色に依存して生起する;
当該の依処色は色法である。
外在する名色法を観照するが如くに、過去の名色法を観照するべきである。
今からもっとも近い所の過去の名色法を観照することができたならば、その後、もう少し遠い所の過去を観照する。
この様に、緊密に、徐々に、過去の名色法を観照するのである。
今世に生まれる時の、一番最初の刹那ーー結生心まで(+もらさず)観照し続ける。
結生心の名色法を観照することができたならば、再度、過去に向かって観照すれば、前の一世の臨終の時野名色法を見ることができる。
その時、三種類の目標の中の一つが、あなたの心の中に出現せる。
この三種類の目標とは:
(一)業:業を造(ナ)す行為
(二)業相:当該の行為の相
(三)趣相:次の一世の生まれ変わる所の相。
私は例を挙げて説明する:
ある一人の禅修行者が、前世の臨終の時の名色法を観照した所、彼は、一人の人間が、蝋燭でもって仏像に供養するという、この様な業相を見た。
この時、彼は、その人の影像に対して、系統的に四界分別観を修習しなければならない。色聚が見えた後、色聚の中の究極法が見えるまで、その色聚を分析しなければならない。
その後、心臓の中の54種類の色法、特に心所依処色に注意を払わねばならない。
この様にすれば、非常に容易に、有分心を見ることができる。
有分心の中においては、異なる目標が出現する。
その時、彼は、それらの有分心を前に後に、進み戻りつしながら、観照しなければならない。
何故であるか?
というのも、心路過程は、有分心の間に出現するが故に。
この様にして、何度も、繰り返して、進み戻りつして、観照すれば、それらの心路過程を観察することができる。
その結果、彼は、仏像に蝋燭を供養する前に、来世は比丘になって修行したいと発願した、前世のその人を見ることができる。
蝋燭を供養する時の心は意門心路過程として生起するが、一つひとつの意門心路過程の中には、一個の意門転向心と七個の速行心がある。
意門転向心には、12個の名法がある、すなわち、識、触、受、想、思、一境性、命根、作意、尋、伺、勝解と精進である。
一つひとつの速行心には、34個の名法があるが、すなわち、
識、触、受、想、思、一境性、命根、作意、尋、伺、勝解、精進、喜、欲、信、念、慙、愧、無貪、無瞋、中捨性、身軽安、心軽安、身軽快性、心軽快性、身柔軟性、心柔軟性、身適業性、心適業性、身練達性、心練達性、身正直性、心正直性と慧根である。
これらは善法であり、縁によりて業相を目標として取って生起するものである。ここでは、業相は、「仏像に蝋燭を供養する」を指す。
速行心の34個の名法は行という。
これらの名法の中において、思心所が最も重要である、思とは業である。これらの名法が生起した後、即刻壊滅する、というのも、それらは無常であるが故に。
しかしながら、それらは、彼の名色相続流の中において、業力を残留させる。
《発趣論》(Patthana)の業縁(kammapaccya)の章において、業力をば、業と呼んでいる。
その後、彼は、来世比丘になりたいと発願した時の心路過程を、再度観照する。
それもまた、一種の意門心路過程である。
一つひとつの意門心路過程の中には、一個の意門転向心と七個の速行心がある。意門転向心には、前に述べた様に、12個の名法がある。
一つひとつの速行心には20個の名法があるが、それはすなわち、
識、触、受、想、思、一境性、命根、作意、尋、伺、勝解、精進、喜、欲、痴、無慙、無愧、掉挙、貪と邪見がある。
速行心の20個の名法の中において、無明、愛、取の三項の名法が、最も顕著である。
無明とは何か?
仏陀の教えに従えば、我々の身・心は、究極色法と名法に過ぎない。もし、我々が、それらを純粋にただの名色法であると見做すならば、それは正確である。
これは観智であり、正見である。
しかしながら、もし、我々がそれらを男性、女性、比丘または比丘尼と見做すならば、それは間違いである。
これを無明または愚痴(=愚かで無知な事)と言う。
愚痴であるが故に、彼は修行する比丘になりたいと発願したのであり、これは愛である。
彼は、修行する比丘の生命に執着したが、これは取である。
無明、愛、取という、この三種類を煩悩輪転(kilesavaṭṭa)と言い、それらは生死輪廻を引き起すことができる。
こうした事から、五種類の主因がある(+事がわかる)すなわち、無明、愛、取、行、業である。
その後、彼は今世に生まれ変わる時の結生心の五蘊を観照しなければならない。結生心には、30種類の色法があり、其々三種類の色聚の中に分かれて存在するが、それはすなわち、身十法聚、性根十法聚と心色十法聚である。それらはそれぞれ、10種類の色法を含んでいるのである。
この30種類の色法を観照した後、再度、無明、愛、取、行、業という、この五種類の過去因を観照するが、特に主に業力を観照する事に重きを置く事。
前世の臨終の時に熟した業力と今世の結生の時野30種類の業生色法を繰り返し観照して、これらの色法が前世の、あの業力によって生じたものであるかどうかを点検する。
以上は、ある一人の禅修行者の例である。
(6-50につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等ほぼ原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html
<中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>
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