仏教
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「精進」の二種類の形態の中で、「自然精進」とは、修行による開発の敬虔を経ないで、機縁に従っていて、怠慢である事があり、かつ布施、持…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 第六章 五力(balāni) 「力」の定義とは:「障礙に対応するが故に、『力』と言う」。 パーリ聖典では、以下のように言う: 「どのような時…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) もし、はっきりと明確に苦諦を察知・覚知する事ができたならば、当然の事に、その他の三諦もまた、はっきりと察知することができる。 「四…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 唯一、一人の修行者が、阿羅漢果を証得した時にのみ、全面的に「苦」の性質を体験・証悟する。 故に、長時間の精進・努力の後、直観(=vip…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 次に、生命における最初の意門心路過程が生起するが、それは己自身の新しい生命を所縁として、新しい生命に執着する。 梵天、天界、人界、…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「一人の修行者は、どこにおいて『定根』を探し求めるべきか?『四禅定』の中において探し求めるべきである。」(《相応部》大品・根相応第…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「一人の修行者は、どこにおいて『念根』を探し求めるのか?『四念住』の四種類の構成要素において、探し求めねばならない。」(《相応部》…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 輪廻の過程において、この一生の生死から、次の生の生死まで、その過程は、常に無間縁であると言える。 輪廻の過程を見てみよう。 この一生において、我々は、非常に多くの善業を実践した: 布施、持戒、聞経、功…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「一人の修行者は、『精進根』をどこにおいて、探せばよいであろうか? 『正勤』の四種類の構成要素において、探すべきである。(《相応部…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「世間禅定の基礎ーー戒清浄」は「活命戒」(八関斎戒)を言う。 この種の戒・律は、一人の修行者を、今生において、「世間禅定」を証得せ…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 一人の修行者は、どこに向かって『信根』を探すべきか? 『ソータパナ果』の四種類の構成要素において、探すべきである。(《相応部》大品…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「定根」と「慧根」は、界定に相当する(原文不明瞭につき、意訳)。 「四念処」の修行の対象において、たとえば、呼気・吸気に安住する時…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「業処」の修行において、「身精進」と「心精進」を具備する修行者だけが、迅速なる精進を得ることができる。 「身念住」に安住するその刹…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 如何なる修行においても、修行者本人が実践し、かつ早急に掌握して初めて、適切な修行であると言える。 もし、修行が修行者を掌握する(=…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 「精進根」とは「精進」の事で、合計二種類ある。 1、自然精進 2、修習精進 また、別の分類方法では、 1、身精進 2、心精進。 「自然精…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 4、無間縁(Anantarapaccayo) 無間縁とは、縁法に属する名法であって、縁生法の名法の、それが滅尽した後、(+別の名法を)即刻生起せしめ、その他の名法がそれらの間に差し込まれる事のないようにする、とい…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です) 第五章 五根 「根」(Indriya)は、支配者によって掌握される行為を言う。そうであるが故に、「根」と呼ばれる。 いわゆる「支配者によって…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 2、精進俱生増上縁 《本生経》の中で、ある一人の菩薩の物語は、「精進神足」の説明に該当する。 ある時、菩薩は大勢の人々と、船に乗って遠くへ出かけたが、その途中、船は暴風雨に出会い、あっという間に沈没…
<以下は福岡ダンマセンターの法話会に供する資料です> 〔現在使用に供する緊急用ノートPCの調子悪いため、『37・・』を優先的に翻訳します。メール送信も成功したり、しなかったりです。あしからず〕 止まることを知らない輪廻は、ちょうどこの急流のよう…
今朝、久しぶりに剪定バサミを持って庭に出ました。 去年の年末から今年の春にかけて、ここ九州の盆地は、何度も何度も、零下7~10度を記録したため、庭の木々が相当に弱っています。 父が好きだった台湾原産の玉蘭も、祖母のために植えたジューンベリーも…
〔現在使用中の緊急用ノートPCの調子が悪いため、校正などは後日とさせて頂きます。メール送信も、成功したり不可であったり。あしからず〕 《願以此功徳 正法久住世間 早日証涅槃》 今、私は、法所縁について説明する。 所縁は六種類ある。すなわち; 1、…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 貪・瞋・痴と無貪・無瞋・無痴は、縁法であり、それらの縁生法は、一つの因ごとに相応する名法及び俱生の色法である。 俱生色とは、結生の時に生起する業生色、及びその生命の生かされている間生起する所の心生色…
Dammavamsaからの贈り物 今日の仏教は、仏陀の残された言語文字しか存在しない。 彼の教え・・・経文・・・は、いまだなお残されている。 この点に注意して頂きたい。 今日、仏教界は煩悩と汚染の浸食を受け、真正なる修行は、失われた。 仏教徒でありながら…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 貪・瞋・痴の三毒の中で、仏陀はただ貪と痴だけが輪廻の根本だと述べている。どうして、瞋恚が含まれないのか? 我々は、アナーガミ聖者を検証してみよう。アナーガミの意味は、「不還」である。彼は徹底的に瞋恚…
読者の皆様、おはようございます。 過日、私が翻訳してブログに載せました 「『偽比丘』の見分け方」 一文は、このほど校閲を終えて、<菩提樹文庫> (PDF正順)にて、掲載の運びとなりました。 近日中に公開される予定ですので、興味のある方は是非、ご閲…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 故に、我々は、己の習気を改善しようとするならば、先に、己自身の性格が、貪が重いのか、瞋が重いのか、痴が重いのか、を理解しなければならない。 その後において、我々は己自身の欠点に応じて、それを糺さなけ…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> この三つの不善根は、身・口・意における駆動力である。 我々は、三つの不善業は、身体を通してなされる事を知っている。 どの三つか? 殺生、偸盗、邪淫である。 それらは、何の影響を受けてなされるのか? それ…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 貪・瞋・痴は、不善根、または不善因縁と言う。というのも、それは己自身の害し、他人を害するが故に。それは悪業の根本である;無貪・無瞋・無痴は善根または美根と言う。というのも、それは己自身を利益し、他…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1、因縁(hetupaccayo) hetupaccayo の hetu は、因という意味であり、paccayo は、支援、援助または縁という意味である。 縁法は、何を通して、縁生法を支援・援助するのか? 一番目は、因縁(hetupaccayo)で…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「無明縁行(無明の縁によって行あり)」を例にとると、無明は一体、どのような方式によって、行を生起せしめるのか? どのような縁力が無明を帯動して、行を生じせしめるのか? このことは、24縁によって、初め…