<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
第六章 五力(balāni)
「力」の定義とは:「障礙に対応するが故に、『力』と言う」。
パーリ聖典では、以下のように言う:
「どのような時に障礙に出会おうとも、恐怖がなく安定している事を、『力』と言う。」
(《増支部》Ekaka Nipātaṭṭhakathā、Apara accharāsanghātha―vagga-vaṇṇanā)
「根」と同じように、「力」にも五種類ある:
1、信力
2、精進力
3、念力
4、定力
5、慧力。
「身見」の王国を打ち壊す為に、上記の者はそれぞれ将軍であったり、指揮官であったりする。
仏法における比丘または凡夫について言えば、上記の者は、頼る事のできる力である。
「信根」と同じ様に、「信力」にも、二種類ある。
1、自然信。
2、定信。
「自然信」とは、特別の修行や開発を経ないで、環境と貪欲によって生起したもので、故に、布施、持戒などの「自然的善業」のみ生じることが出来る。
「自然信」には「貪欲」を克服する力がなく、反対に「貪欲」が「自然信」をコントロールしている。
この事は、「貪欲」が如何に強力に「自然信」を支配するかを物語っているが、パーリ聖典の中では、四種類の聖者の伝統的修法に関する記述がある(聖種法 ariya-vaṁsa-dhammā。《増支部》Catukka‐nipāta、Paṭhama-paṇṇāsaka、ariyavaṁsa-sutta)。
が、これらは、太陽、月の如く、清らかに明確に天空に存在する。この四種類の修法とは:
1、食べ物に対して、非常に容易に満足する。(乞食)。
2、衣服に対して、非常に容易に満足する。(糞掃衣)。
3、住居に関して、非常に容易に満足する。(樹木の下に坐る)。
4、修習において、喜楽を発現する。(心身の寂静)。
(6-2につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>