<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
この四種類の修法は「信」を構成する。
現代において、「信」という、この偉大な国王は、隠匿的で、非常に旗色が悪い。今日、衆生は皆、物質的な生活を享受しており、世間的な仕事、尊厳と栄誉において享受を受けており、楽しい生活、世間の富と権勢における享楽を追い求めている。
故に「貪欲」という、この巨大な国王は、大海が島嶼を囲むように、明確である。
この事は、「自然信」というものは、この世界においては、脆弱なものである事を物語っている。
「定信」とはすなわち、呼気・吸気の「身念住」において、修習に成功し、かつ心霊の不安と動揺を解消したのちに生じるものである。
この種の「定信」は、比丘、凡夫をば、三種類の「貪欲」の海から救い出す事ができ、彼らをして、「聖種法」によって構成された「信」の王国に到達せしめることができる。
「37道品」のうちにおいては、まさに、この種の信が必要とされるのである。
(6-3につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>