FDC資料「37道品ハンドブック」4-11 Ledī Sayādaw著
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
もし、どれか一つの「神足」が打ち建てられたならば、それぞれの「如意」は、己自身の「ハラミツ」によって、証得できるのは、確実である。
故に、注疏の中で述べられているように、何等の「神足」をも具備しない人は、caṇḍāla(下賤な者の意)の子のようであり、何等かの「神足」を一つでも具備する人は、国王の子のようである。
caṇdālaの子は、国王になる基礎に欠けているため、決して国王にはなれない。
しかしながら、国王の子であるならば、国王になるという目標が目前にあるため、常に、国王になるのだという目標に向かって前進する。
このように、現代の智者は、四種類の「神足」を獲得する為のチャレンジをするべきであり、このようにして初めて「身見」という巨大な根を打ち壊すことができ、かつ、仏陀の教法の中で、己自身の「ハラミツ」に従って、更に高いレベルの、果位の利益を証得することができる。
(5-1につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>