南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

FDC資料「37道品ハンドブック」5-10 Ledī Sayādaw著

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)

「一人の修行者は、『精進根』をどこにおいて、探せばよいであろうか?

『正勤』の四種類の構成要素において、探すべきである。(《相応部》大品、根相応第四・応観第8経)

凡夫と仏陀の比丘弟子は、ただ彼らが「正勤」の四種類の構成要素を完成した時にのみ、「精進」の修行の上において、彼らの心内の不安と動揺は、すでに解消したかどうかを、理解することができ、その事(=精進する事)によって、(+己自身は)心霊をコントロール(制御)する事のできる修行者であるかどうかを、知ることができる。

「私の皮膚、筋肉、骸骨が枯れても、私の身体内の血肉が枯れても、私はこの一生において、私の人格の中の身見、悪行、苦界が打ち壊されるまで、私は(+修行を)放棄しない。」

これは一種、簡単な決断と「正勤」における努力に相当する。

護眼尊者(Cakkhupāla《法句経》第一偈注)は、まさにこの努力・精進に依ったのである。

一人の修行者が、この種の決断と努力に対応する時、「精進根」による、心に対する、優勢とコントロール(制御)の主権(=力)を認識する必要がある。

「精進」における修行では、この種の修行者は、すでに己の心の不安と動揺は、解消している:

仏教の中において、この修行者は、己の心霊(=心)を支配する事のできる修行者であると言える。

(5-11につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>