“Anāgatappajappāya, atītassānusocanā, Etena bālā sussanti, nalova harito luto.“ “(良き)未来を渇望し、過去を後悔する。(その様な人の)身体は切り倒された竹の様に、烈日の下で枯れて萎える。“ これらの過患を知ったならば、資具が如何に欠乏しようとも、比丘は決して、貪婪になったり執着したりする事はない。修行の殊勝を省み、思惟して、戒律を守る。“Dukkaram dutitikkhañca, abyattena ca sāmaññam, Bahū hi tattha sambādhā, yattha hūlo visīdati.“ “愚かな人は、心身のコントロールが出来ず、出家する事は彼らにとって非常に艱難な事柄である。彼らは忍耐が出来ないし、持久する事も出来ない。出家してもその後の諸々の困難によって撤退してしまう。“ “ Katiham careyya sāmaññam, cittam ce na nivāraye, Pade pade visīdeyya, sankappānam vasānugo.“ “比丘が、もし、欲を追いかける心を停止しないならば、彼は何日修行する事が出来るであろうか?彼は最後には、不善心に干渉されて、最後には、沙門法を修行し保持する事を放棄してしまい、何らの向上も見い出せないままになる。“