Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

★『教海覚舟』〈教えの海悟りの舟〉(45-4/5)(私家版)

持戒が不清浄な比丘であっても、上に述べた功徳があるのであるから、持戒が清浄な比丘ならば如何!              諸々の、多くの善徳は、比丘をして在家よりも、尚、非常に高く、尊いものにする。比丘生命に基づく収穫は、巨大なものがある。。。。                   しかし、ある種の比丘は、出家の功徳と、その偉大さを見る事ができず、省みる事ができず、出家の楽を体験する事ができず、俗世の“良きもの“に惑い、貪欲になり、最後には還俗して、去って行く。。。       沙門の法を楽しく修行する為に、全ての比丘は、常に、出家の功徳を省み、思惟して、歓喜の心を育成しなければならない。。      常に、以下の方式によって、善行を省み、思惟する事:  “ 私はすでに世間的な欲楽の束縛から離れた。その他の人々は、未だその中にいて、束縛されている。私はすでに、世間的な欲楽の泥沼から這い出し、家を離れ、出家し、仏陀が歩んだ道を私も歩む。この、無徳の人々に満ちた世間において、私は戒行 (サーマネラ戒又は具足戒) を守る。この身体に意義はないが、私は敢えてこれを用いて、三宝を礼拝し、仏塔の側にい、菩提樹の下、寺院の中、住居にい、師長と共に住まう仲間の為に奉仕、服務する。多くの人々は、口で以て嘘を言い、人を侮辱し、噂話をし、暇つぶしをする。私は、それを口も以て、仏法を開示し、護衛経を念称し、戒を念称して、又他人の為に授戒する。“        戒徳を省み、思惟する時、以下の方式で以て、歓喜の心により、戒行を、個別に省み、思惟するのが良い。                   “殺生と人を傷つける事に満ち満ちたこの世間において、私は、慈愛と憐憫の心で以て一切の衆生に対応しよう。一匹の蚊でも蝿でも殺す事はしない。“         【43ー5】注5=《ミランダ王経・難問》第七品第四問から抜粋。