今朝、久しぶりに剪定バサミを持って庭に出ました。
去年の年末から今年の春にかけて、ここ九州の盆地は、何度も何度も、零下7~10度を記録したため、庭の木々が相当に弱っています。
父が好きだった台湾原産の玉蘭も、祖母のために植えたジューンベリーも、根が凍みたのか、瀕死の状態(私は植物に弱いので、どうしたらいいのかよく分からない)。
ただ救いは、ここに越して来てから植えたバラの苗はすべて(以前に、すでに枯れたのは別として)生き残ってくれたので、これからこのバラの手入れにがんばろうと思います。
それにつけても思い出されるのが、以前台湾の釈従信師が言っていた言葉。
釈従信師は、40年前の台湾にはめずらしく、原始仏教派で、大乗仏教を鋭く批判していた僧侶。
彼の口癖は
「大乗の人間は、何かというと『菩薩になる』が口癖だが、足元の修行をなおざりにして、栄光ばかりを追い求めている」「これを好高WU遠(高いところ遠くばかりを求めて、足元を見ない事)というのだ!」でした(理論的言って、仏陀になる為の菩薩の修行は、阿羅漢になるより難しい)。
私も庭の手入れを怠りながら、「庭にたくさんの花が咲けばいいのに」なんて思っていたので、これも<好高wu遠>の一種でしょうか(hao四声 gao一声 wu 四声 yuan三声)?
そして、テラワーダ好きの人々も同じように、やれ「ジャーナだ」、「悟りの光だ」とかすまびし事、この上ない(ジャーナも、nimittaも大切ですが、我勝ちの競争になったり、高慢になっては本末顛倒、の意)。
あなたは隣人に優しいですか?
あなたは自分自身に優しいですか?
少欲知足ですか?
怒りや貪欲(過剰な欲)は、コントロールできていますか?
脚下照顧。
いつの日か、顛倒夢想~己のエゴの崩れ去らんことを願って、今日一日、着実に生きる。
そんな風でありたいと思います。
<ミャンマー、パオ森林僧院 pannya-adhika sayalay>