先日のブログ(2022年1月27日)で、
【般若心経】というお題で、駄文を書かせて頂きました。
この時は、主に、
<空(クウ)>
に関する説明をしたのですが、私が、「般若心経」を初めて読んだ時、子供なりに、一番、心に残ったのは
《顛倒夢想》《心無罣礙》《無有恐怖》
の三行でした。
「ああ、私たちは、何か、とんでもない思い違いをしている。」
「私たちの、物事への認識は、夢想の中で、顛倒しているのだ」
「もし、その深い深い、誤謬が解けたなら、すなわち、夢から覚めて、覚者になったならば、己自身の中の、恐怖(や憎悪)はなくなるのだな」
と思い、
「大きくなったら『般若心経』の内容を、極めたいものだ」と思ったものです(注1)。
台湾の、原始仏教が好きな僧侶(釈従信)が書いた仏教書に、「『般若心経』の主人公は、観世音菩薩であって、シャーリプトラ尊者ではない。
これは、大乗仏教による原始仏教の否定、ひいては、ゴータマ仏陀の教えの否定だ」
と書いてありましたけれど・・・
でも、「般若心経」は、あの短い文言(300文字弱)の中に、無常・苦・無我、特に <空=無我> のエッセンスが盛り込まれていて、私は、秀逸なお経だ、と思っています。
仏教の核心に興味のある方は、「般若心経」と、
ゴータマ仏陀直伝の「アビダンマ論」の、
両方を照らし合わせて学べば、ストンと胸に
落ちる部分が、多々、あるかと思います。
(注1)残念ながら、私は、日本で、上手に「般若心経」を説明し、かつ心経の内容を、100%、腹落ちせしめる様な、合理的な修行方法を、提示して下さる僧侶に出会えませんでしたので、30歳過ぎた頃、タイの森林寺院に修行に行く様になりました。
私にとっての僥倖は、緬甸(ミャンマー)のパオ・セヤドーの著書『智慧之光』(和訳『智慧の光』<菩提樹文庫>掲載)に出会った事です。
これで、私の心の中で、アビダンマ論と、「般若心経」が、一つに繋がりました。
膨大で難解なアビダンマ論を、300文字弱に、凝縮したものが「般若心経」ですから、
一種<なぞなぞ?>
<判じ物?>
の態が、あります。
初心者は、先に、アビダンマ論から学んだ方が、よいかと思います。
<緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/
Paññādhika Sayalay 般若精舎>